その昔、今から40年も昔のことになるでしょうか、苓北の慈恵病院に入院した兄のお見舞いに初めて天草を姉達と訪れたのは‼ 中国を旅行中、漓江の川下りの観光船の中で、兄が脳梗塞で倒れ桂林の市民病院にはこばれ、そこで慈恵病院の永野義孝先生と運命の出会いがありお世話になってリハビリの為慈恵病院に入院しました。兄は天草がとても気に入って療養を続けていました。天草は遠く気軽にお見舞いにも出かけられず、私は毎日兄に手紙を描きました。沢山溜まった絵手紙は如水館で展示会を開いて下さったり、当時の岩崎國春館長先生にはお世話になりました。それを機会に皆さんに絵手紙の手解きをしたり、2001年に天草で兄が亡くなってからも頻繁に天草を訪れ、私にとっても天草は第二の故郷の存在になりました。初めての天草の苓北富岡の民宿で頂いた生うにの美味しかったこと、兄も私も天草の皆さんに沢山のお世話になり、あれこれと昔を思い出しながら感謝の思いは尽きません。如水館での絵手紙教室も懐かしく沢山の人達のお顔を浮かべながら当時を振り返っています。
2025年01月20日更新