姉の写真はいろいろあります。主に赤坂で日本料理(伊志井)を開店してからの写真が沢山あります。この写真は、お店の連休の時、度々、香港の知人を訪ねて料理の勉強をしたり買い物を楽しんだり、していた時の香港空港ではないかと思います。香港にマンションを持っていましたが、亡くなった年の暮にマンションの整理に行った時、香港の街がクリスマスのイルミネーションに輝き、涙で潤んだことを思い出しています。平成4年の3月、友達と香港旅行を楽しみ、滞在中の姉より先に帰国したのですが、その後、皆、私を置いて先に帰ってしまって!という手紙が来ました。姉は帰国してすぐに日本医科大学付属病院に入院、私は毎日通いました。(哲也を遺して死ねない、あの子が可哀想!)と言いながら逝きました。(着物はあれを着せて!)
赤坂の(伊志井)は、閉店の予定でしたが、板前さんやお運びさんが、このまま是非続けさせてほしい、というのでしばらく様子を見ることにしました。今のTBSの真ん前の角地、半地下のお座敷もあるお店でした。私はお座敷がある時や大事なお客様がある時は川崎から通い、閉店後はタクシーで帰る日々が、主人が亡くなるまで続きました。
「人間は二度死にます。まず死んだ時。それから忘れられた時。」という言葉を聞いたことがあります。松田優作さんや永六輔さんの言葉だそうです。一度目の死は、医学的に死亡が確認された時。しかし記憶にとどめてくれる人がいる限り、たとえ死んでもその人の心の中で生き続けるのです。従って、二度目の死はすべての人の記憶から忘れ去られた時、だそうです。姉はまだ私の心の中で生き続けています。これからも姉に対する私の想いをお話させて頂きたいと思います。
2023年03月07日更新