先日の兄の手紙をUPしましたが、今日はお仏壇の同じ引き出しにあった文姉の手紙を紹介したいと思います。令和4年3月私達は香港に出掛けました。姉が香港にマンションを買って料理や買い物などを楽しんでいました。私達は姉を残して帰国したのですが、この手紙はどのような経路で残っているのか私は覚えていません。
「香港にまで連れて来て皆んなで帰るなんて淋しいです。せっかく残ったのですから仕事が出来る体になるまで頑張って保養します。赤坂、哲也お願いします。綾子は私のことを心配してくれて夜も寝れないのではないかと思ひ、良き妹を持って幸せな私です。中嶋さんともまたね」
とあります。姉はこの後帰国して文京区のマンション近くの東京医科大学付属病院に入院、10月になくなりました。ブランデーの飲みすぎ、胃がんでした。私は毎日通い当時体重が42キロになりました。夜中にテレビでどこかの紅葉の景色を見ながら(綾子、きれいね)と言ったのを最後に意識がなくなり、明け方東の空が茜に染まる頃旅立ちました。(死んだらお寺に行くのかしら?)私は(川崎に帰りましょう)(死んだ顔は誰にも見せないで)。でもとてもとてもきれいな透き通るような顔でした。12月になってマンションを片付けに行きました。クリスマスのイルミネーションに輝く香港の街並みが涙に潤みました。あれから32年、哲也と主人と一緒に私が逝くのを待っていてくれます。涙が止まりません!
2024年07月30日更新