暮の30日、危ぶまれていた従姉妹が11時16分、静かに息を引きとりました。

90歳、遺言通り延命処置をせず静かな最後だったそうです。視力もかなり低下していたのですが、前日、娘が「おかぁちゃん!おかぁちゃん!」と呼びかけたら、はっきりと「はぁ~い・・・」とこたえたそうです。私と姉は、戦争中縁故疎開をして世話になり、また、母が倒れてからも故郷の大津へ行きたいと云うので連れて行き、従姉妹たちの世話になりました。姉達と相談し、年も新しくなることだし、兎に角、行きましょう、と相談もまとまり北茨城市までの約3時間の道のりを早朝二台の車で出掛けました。あと30分もすれば到着と思われた10時過ぎ、携帯の地震アラームが鳴り茨城県北部を震源とする強い地震があり高萩市で震度5弱を記録したとの警報でした。まさに震源地を走っていたわけです。車では、地震はあまり感じないのですが電線がかなり大きく揺れていました。この地方の人達は「これくらいの地震では驚かない」と聞いてびっくりしました。

(枕経)に間に合って、綺麗な顔で安らいでいる従姉妹に「有難うございました」と最後のお別れをし、ご冥福を祈り帰宅しました。いろいろ感じた事、又次回お話させて頂きます。合掌

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