2011年3月11日(金)午後2時46分、東日本大震災が起こり15,893人が亡くなり、2553人の人々の行方が今も不明です。津波の爪痕が少しずつ消えゆく町、手付かずのまま残された家々を、穏やかな海から上る朝日が照らし、柔らかな光の中でそれぞれの思いを馳せた一日でした。私はあの日あの時、近くの虎ノ門病院梶ヶ谷分院の待合室にいました。鉄筋の頑丈な建物でも激しい揺れを感じました。病院の職員さんが廊下を駆け歩いて、安心するよう呼びかけました。診察は一応済んで会計は機器の不動作で次回にして下さい、というので帰途に付きました。車で5分足らずですが信号は消え、家に着いても電動の扉が開かず、乗り越えて中に入りました。近所の人達が前の公園に集まって心配していました。様子も分からず兎に角夕食に近所のコンビニでお弁当を買ってくるように姪に言いましたが、すでにパンや食べるものは無くなっていました。夜9時ころになって、やっと通電しテレビをつけて惨状を知り驚きました。あれから6年、各地で祈りが捧げられ悲しみを新たにしました。犠牲になられた多くの人々のご冥福をお祈りし、被災した人達が一日も早く平穏な日々を送れますように願いを込めて願います。