絵手紙を描きたい!と紹介されたりして新しいメンバーが出来ます。お道具も自分用に買い求めて下さいますので、長く続けて楽しんで戴けると嬉しいですね。初めは、トマトや茄子、ピーマンなど、野菜物が描きやすいと思います。絵手紙は小池邦夫先生の「下手でいい、下手がいい」の言葉の通り、上手下手ではなく思いを相手に心を込めて伝える、事が大事です。(あせらず、くらべず、あきらめず)です。私にも是非お便り下さい、待っています。

日記
人の寿命は計り知れないもの、ましてや八十の坂を越したとあれば、いつ、何事があるやも知れず、只々思いがけず長きにわたり生かされる命を与えられて、毎日を楽しく笑顔で暮らせることに感謝をするばかりのこの頃です。大分前に石屋さんが工事に入った時、ついでに掘ってもらった短歌「言い残し 書き遺したきこと 多けれど 生き尽くしたる世に 名残りのこさじ」。長姉が天草に来た時にこれを見て(馬鹿ね~綾子は 当たり前じゃない!)ですって!私はあれからもう何年生き続けているのかしら?でも、そろそろ終活と云うかしまいの支度も考えねば、と思っています、等、云う人に限って長生きするんですって!

日記
市川海老蔵さんの奥さん、小林麻央さんが旅立たれました。幼いあどけない可愛い二人のお子さんを遺しての旅立ちです。どんなに、どんなに、辛く哀しく切なく無念の思いであったでしょうか、この世に、頼り信ずる神様や仏様の存在を疑わざるを得ない気持ちです。無常の節理はいかなる例外も認めず、すべて生きとし生ける存在すべてにあり続けるのです。最後まで明るく、前向きに人を思いやり、多くの教訓を私達に遺して逝かれました。海老蔵さんは「子供に対して、自分がパパになりママになる」最後の「愛している」の言葉も感慨深い物があります。7月17日、舞台を観に行きます。人として、役者として、この辛い経験を踏み台に益々大成し13代団十郎を襲名して下さい!麻央さんのご冥福を心からお祈り致します。合掌。

姉の20年忌-1
25日(日)、市民センターで天草市のイベントがあって、「天草三曲会」も尺八とお箏の合奏で「舞扇」を演奏します。食事会が終わった後、尺八の先生も参加して下さって、練習をしました。諸先生の中に一人、いつまで経っても初心者でご迷惑ばかりお掛けしていますので、凄く緊張しながら参加させて頂いています。先輩に引っ張られながら、どうぞ無事に終わりますように!

お稽古
一週間前、口内炎が痛くて紹介された東急病院に行って、気さくで明るくて元気な女医の山崎もも子先生に薬を処方されてから一週間、予約で行きました。症状は大分良くなって痛みも少なくなってきたので先生にお礼を言いました。午後から寺谷住宅の絵手紙がありますので、早く診察を受けたかったので7時過ぎに家を出て、大岡山の駅前コンコースのベンチに座って受付を待ちました。ラッシュ時の電車も久しぶり、急ぎ足で駅前を行き来する人々、散歩を楽しむご夫婦、退屈する間もなく時間が過ぎました。もも子先生に薬を2週間分処方して戴いて無事に釈放?有難うございました。良かった!

4月のサンルーム-3
一週間ほど前から口内炎が出来て沁みたり痛かったり、そのうち治るだろうと思っていましたが治りません。駅前のクリニックに行って診て貰ったら、耳鼻科に行った方がいい、と紹介状を書いてくれた病院が、大井町線の大岡山駅、駅ビルの中にある(東京急行電鉄kk 東急病院)初めてでしたが大きな病院です。、徒歩0分、乗り換え一回で約30分、2時間待たされて診察5分、口腔用軟膏とうがい液、ビタミン不足を補うカプセル、処方されて駅前の「サイゼリア」でお昼を済ませて帰宅。疲れた!でも、今日は痛みもとれて治りそう、もも子先生は又一週間後に来るように、「はい、治っても報告に行きます、有難うございました!」
あまり無理しないでのんびり致します。

5月の「ふれあいスペース如水館」-1
数年使っている、アンドロイドのギャラクシーが不調です。時折熱を持って熱くなって、バッテリが消耗します。阿蘇くまもと空港でカウンターに「この機種をお持ちの方は客室に持ち込まずに、預けて下さい」と書いてありました。発火するケースがあるそうです。川崎に帰って今日、武蔵小杉のドコモショップへ行ってきました。矢野先生おすすめのSONYのXPERIA、慣れるまでは、とにかく疲れます。頭の体操の一環と諦めてボトボチやります!
五名で御領の「石本家お屋敷」でのランチに出掛けました。前回、紹介されて初めて行って、江戸時代に指折りの豪商松坂屋(石本家)石本平兵衛の天草市指定の建造物です。1200坪の敷地に今でも現存する、蔵があってそこから沢山の古文書が出てきているそうです。御領石で組みあげられた石塀も見事です。
敷地の一角に(ふれあい処 わだち)があります。ご近所の主婦の方々が腕を奮って提供されるランチはゆっくりと、古の人々を偲びながらのおご馳走です。火水土曜日のランチのみ、お手軽なお値段で食後のコーヒー迄楽しめます。ご馳走様でした、又、伺います!

わだち
大分以前から約束していた絵手紙の手解きがやっと出来ました。顔彩等も立派な物を用意して下さって、高浜と富岡からのお二人です。トマト、イチゴ、ピーマン、も持ってきてくれましたが、トマトに挑戦、フレームに入れて記念写真をパチリ!近いうちに是非もう一度やりましょうね!

宇土さんと浜浦さん
4月16日(日)、天草に着いてバタバタとしていました。お部屋の簡単な改装をしようと思って野上建設の中山監督さんと打ち合わせをして、早速工事に取り掛かって貰いました。荷物の片づけがひと仕事です。この機会に要らない物、引き続いて使う物、整理が出来てとても良かったです。裏千家茶道の先生をしていた和子叔母さんの形見の茶道具、もう一度整理をして大切に扱います。佐賀県有田の陶器市に通っていたころの買い置きのいろいろ、もう20年近くの昔の話ですので、あの頃は元気あったなぁ~、等思いだしています。今回は庭の車輪梅の木が満開です。留守にしていても、手入れをしてあげられなくてもお花は時期を計って咲いてくれて愛おしいです。空調の必要もなく、自然の大気を取り入れて快適な毎日です。天草に来て良かった!

4月天草の庭
天草に着きました✈。お天気も良くて快適なフライトでした。前日、駅前の銀行へ行ってお金を引き出そうと出掛けました。ATMではなくて、窓口で伝票を書いて出した処、身分を証明するものを提示して下さい、と云うので運転免許証を出しました。気が付かなかったのですが通帳と免許証の住所が川崎と天草になっていて違います。折から「おれおれ詐欺」が高津区管内で多発している、と云う事で高津警察の私服のお巡りさんが常駐していました。早速尋問に引っ掛かって、何に使うのか?家族は知っているのか?等いろいろ聞かれて姪の家まで連絡して「今、お母さんがお金をおろしに来たけど御存じですか?」とかいろいろ聞かれました。どちらかの住所変更をするように、と云われても直ぐには間に合わず、結局ATMで引き出せる限度額をおろして帰ってきました。姪に大笑いをされて全く!、でも一寸溜飲を下げたのは、「貴方は本当のお巡りさんですか?」って嫌味をいって警察手帳を出させました、お巡りさんも苦笑い、銀行の窓口の女の子もおかしそうに笑っていました!
天草では、早速お掃除や買い物これからの日程の調整など、忙しい日々になりそうですが楽しみでもあります、皆さん、宜しくお願い致します。

天草の家-1
昭和25年、東京都立白鴎高校に入学し、1年5組に編成され6人の仲良しグループが出来ました。それから長い年月を経て一人行方不明、一人亡くなられ、一人横浜に住んで外出出来ず、一人軽い認知症、あとお一人のMYさんは、日大工学部薬学科を卒業、お医者さんと結婚し、息子二人、一人はお医者さん、もう一人は一流企業、いろいろと病気を克服しましたが、今は肩を痛めています。川崎市立病院に肩専門外来があるそうで相談の電話がありました。井田病院の友人に相談したところ、自由が丘に「筋膜リリース」と云う注射で痛みが取れる治療法があって、3か月先まで予約がいっぱい。彼女に連絡して①今の病院で手術を受ける②セカンドオピニオンとして川崎市立病院の診察を受ける③自由が丘クリニック又は、同じ治療法を行っている目黒通りハートクリニックを調べる。お医者のご主人は、自分の事は自分で決めろ、って云うそうです。もう高齢ですが優しそうなお顔をしていられるのに何と冷たい事!何よりも痛い、痛い、は一番辛いですから早く痛みが取れますよう、頑張ってください!
昨日、姉は宏一の家族と一緒に上野の山にお花見に行ってきたそうです。動物園で車椅子を借りられて良かったですね、姉も懐かしかった事でしょう。上野まで来ていたのなら増上寺に寄ってくれるとよかったのにね!
我が家でも(海棠)が満開状態になりました。この時期に義父が亡くなったので思い出の花です。慶応義塾を出て加藤家に養子に入り、真面目に銀行員の生涯を送り85歳で亡くなりました。厳しくもあり、優しくもあり、子供を産めなかった私も肩身の狭い思いもせず可愛がってくれました。お傍に行く時は改めてお礼を言いましょう、有難うございました。

海棠の花
大失敗をしました。前日からお香典のお包み、お数珠、服装、その他の用意を済ませました。何時も靴を履きなれないのですが、昔の黒のパンプスも3足取り出して、これ、と決めて荷物に入れました。式場に着いて履こうとした処、左右違う靴ではありませんか!つま先は同じようでもヒールの高さが違います。どうしたと思いますか?お焼香の時にずぼんの裾をずり落として長くして靴が見えないようにして、焼香台までの短距離を緊張して歩きました。大変でした。変に思った人はいるかしら?でも、まぁ~~いいかぁ~~、仕方ない!明日はどうしましょう!一寸情けないやら、笑ってしまうやら、の一幕でした!
電話でお話をする機会は何度もあっても、お会いするのは久しびり、このような悲しい時の会うのも致し方の無いことなのかも知れません。とっこちゃんは、小さな体が余計に小さくなって、でも、元気そう!ゆっくりとお話をする暇もなく、お通夜の儀が終了、皆さんもお疲れのことと忖度して簡単なご挨拶でホテルに戻りました。この地方はお清めの会食もないようで、タクシーの運転手さんにコンビニに寄って貰って夕食を確保、ホテルもビジネスホテルですので、自動販売機や電子レンジ迄あって、吃驚、何事も経験です。ビールを定量の2倍を飲んで結構満足、世の中いろいろだなぁ~、と思いながら来て良かった、と思いました。

お久しぶり
3月も最終日、桜の開花があっても寒さのぶり返し、寒い朝です。疎開先の小学校の友人のご主人の逝去の知らせを頂いて、都合を付けて茨城県常陸大宮に来ました。梶ヶ谷から上野駅へ、常磐線スーパーひたち15号で水戸へ約1時間、水戸で水郡線に乗り換えて約30分、枯れた田畑に囲まれた田舎の街です。とっこちゃんは
北茨城市からここへお嫁に来ました。86歳のご主人を亡くされましたが、お孫さんや地域の人々に囲まれて幸せな日々を過ごしていましたので、あまり病ずに亡くなられてショックを受けているようでした。でも、とっこちゃんは哀しみを乗り越えて又、ボランティアに頑張ってくれると思います。4時、ホテルに一応チェックインして6時のお通夜に参ります。久しぶりのJR上野駅構内、23歳まで毎日利用した懐かしの駅です。ホームに上がれば目の前に、住んでいた辺りが広がっています。大分、変ってはいますが昔の面影は残っています、涙が出るほど懐かしさ一杯!!思い浮かぶ顔、顔、顔、・・・・に(有難うございます)と叫びました。

上野駅2
第二次大戦中、70年もの昔の事、私と姉は母の実家の伯母の家に縁故疎開をしました。茨城県北茨城市大津町です。そこの小学校に1年半位通い、友達もたくさん出来て今でも交流があります。その中の一人”とっこちゃん”から何ヶ月振りかで電話があって「昭ちゃんが亡くなった!」、仲の良いご主人です。とっこちゃんは美空ひばりの唄が上手で歌手になるのが夢の明るい芸達者な女の子でいつも皆を笑わせていました。地域の活動の中心的な存在でボランティアも積極的に続けています。予定を変更して、31日と4月1日の通夜・告別式に泊りがけでお悔やみに参加させて頂き、ご冥福をお祈りしたいと思います。沢山の懐かしい思い出と共に田舎の町で追悼の一時を過ごします。  合掌!

姉の20年忌-1
天草からの便りで、大先輩の93歳ヨシエさんが元気になられた、と知らせがありました。暮れから体調を崩して静養していましたが、今日は嬉しい日になりました。私達は生きている限り、今日は元気でも体にまだ発症しない病気を持っているかも知れず、明日の事は分かりません。病気がわかっても、早くに分かってそれだけでも良かったと思って、早く治療をすれば早く回復出来ます。私も余程の事がない限り、病院には行きませんが今年の検診は受けようと思います。4月の天草でヨシエさんを囲んで皆さんに会うのを楽しみにしています。

3月の絵手紙-7
金曜日に車を車検に出しました。暫く外出の予定もなかったので代車も頼まず家に居ようと思いました。ちょっと郵便局へ、買い物に、と思っても「そうだ、車がないんだ!」と我慢しています。もう13年も乗っているポンコツですが、エンジンの調子が良く、又いつまで運転できる事やら、デーラーには「面倒を見てください」とお願いしています。一昨日は大勢の集まりでしたが、昨日・今日と、天草の畳屋さんから頂いてきた畳のへりを利用して「カード入れ」を作り始めました。軽くて丈夫でとても喜ばれます。又、暇を見つけて作ります。

畳のへりのカード入れ
2011年3月11日(金)午後2時46分、東日本大震災が起こり15,893人が亡くなり、2553人の人々の行方が今も不明です。津波の爪痕が少しずつ消えゆく町、手付かずのまま残された家々を、穏やかな海から上る朝日が照らし、柔らかな光の中でそれぞれの思いを馳せた一日でした。私はあの日あの時、近くの虎ノ門病院梶ヶ谷分院の待合室にいました。鉄筋の頑丈な建物でも激しい揺れを感じました。病院の職員さんが廊下を駆け歩いて、安心するよう呼びかけました。診察は一応済んで会計は機器の不動作で次回にして下さい、というので帰途に付きました。車で5分足らずですが信号は消え、家に着いても電動の扉が開かず、乗り越えて中に入りました。近所の人達が前の公園に集まって心配していました。様子も分からず兎に角夕食に近所のコンビニでお弁当を買ってくるように姪に言いましたが、すでにパンや食べるものは無くなっていました。夜9時ころになって、やっと通電しテレビをつけて惨状を知り驚きました。あれから6年、各地で祈りが捧げられ悲しみを新たにしました。犠牲になられた多くの人々のご冥福をお祈りし、被災した人達が一日も早く平穏な日々を送れますように願いを込めて願います。

天草の家-24
そろそろ帰宅の準備をします。日曜日なので予定もなく、まだ整理が出来ていない事を片つけます。北公民館の絵手紙が公民館の清掃日にあたって、お休みをしましたので展示のパネルが1月の儘になっていましたので、描き変えました。先日皆さんと「天草小唄」を歌って楽しかったので、二番の本渡の唄を描きました。一番は上天草、三番が苓北、四番が牛深、機会があったら若松さんに踊りの振りを教えて頂きましょう!

「天草小唄」
八代の塩トマトが好きです。八代の特産品、今年は昨年の地震の影響で不作とのこと、地元の友人もなかなか手に入らないそうですが、送ってくれました。本当に有難うございます、天草の友人達と一緒にご馳走になります。3月3日の陶芸展楽しみにお邪魔させて頂きます。

八代の塩トマト


天草の庭には、古い枕木を利用して花壇の境界や他にも使っています。年月が経って木が朽ちてきて空洞になったりしています。白蟻の心配がありますので、見て貰ったら家の床下はまだ大丈夫、でも枕木は薬を撒いた方がいいそうで全部の枕木を消毒してもらいました。安心しました、良かった!

白蟻駆除-2
天草も寒い毎日です。予報で雪の予告もありましたが、時折雪が舞い落ちてきました。風も強くてゴーッと吹き荒れます、本当に寒いです。有明海の遥か上空は厚い雲が掛かっています、周囲の様子を撮ってみました。

今日の天草、お天気は良かったのですが有明湾から吹く風は冷たく木々を揺らしました。
天草のお花屋さんから綺麗なお花が届きました、今日は天草滞在ですので吃驚しました。毎年私が忘れてしまっていても、はるばる岡山からのお花で主人もどんなに喜んでいる事か、本当に有難うございます。20年の月日は夢のようです。田畑さんご夫婦が川崎に居る頃、私達も若く十分な事も出来なかったのに何時までも忘れずにいてくれて、言葉がありません。沢山の方達のお蔭さまで毎日を送れる幸せを改めて感謝しています。頂く花束も初めは白やブルーのお花でしたが、少しずつピンクやオレンジ色が混じって、心が癒やされる感じです。きっと田畑さん達が私を励ましてくれているのだ、と思います。田畑さん、トシ子さん、これからもお世話になりますので、宜しくお願い致します。
正昭が息を引き取った時間になりました、窓から天草の細い細い三日月様が見えます。お月さまも私を慰め、励ましていてくれます。お月さま、私はこれからも毎日生かされる限り悔いなく生きていきます、正昭と一緒に見て下さい!
田畑さん、トシ子さん、天草でお待ちしています、有難うございました。

2月のタイトル画像-3
早朝、電話があって去年の暮れから福岡の病院に入院して膝の手術をして、リハビリ中の苓北の友人が2月11日に退院が決まって知らせてくれました。天草へ通い始めた当初からお世話になった恩人です。体調を見ながら、早速退院のお祝いをしたいと思います。新年会でも「なぜ田原さんはこないの?」と大勢の方から言われましたので賑やかにお祝いしたいと思います。田原さん,みんなで待っています!。

キンカンの実


北海道や東北地方は、大雪や強風で難儀をしています。今日の天草は朝から日が眩しく輝いて気温も上がっています。苓北内田の友人から頂いた古い火鉢に水を張って、睡蓮を入れたりめだかを泳がせたりしています。その隣の石の像は、阿蘇神社にお参りに行ったときに門前町で求めて送って貰った「田のかんさー(神様)」だそうです。熊本地震で、阿蘇神社の本殿が倒壊した時「ちくたく堂」のご主人宮川さんに電話をしましたら、奇跡的に何の被害もなかった,とに事安心しました。眩しく光り輝く有明海を眺めながらこの平穏に感謝しました。

田の神さん
朝、寝室の窓を開けるとちらちらと雪が舞い散っています。牡丹雪の様なかなり大粒です、思わず暫く空を仰いで眺めていました。ごく自然に昔の歌が浮かんで来ました、「寒い朝」です。1962年、吉永小百合と和田弘とマヒナスターズとのビクターレコードのでデビューシングルです。

   「北風吹きぬく 寒い朝も 心ひとつで 暖かくなる
           清らかに咲いた可憐な花を  みどりの髪にかざして今日も ああ
                北風の中に聞こうよ春を 北風の中に聞こうよ春を」

毎日の生活の中にも天気の良い日、雨の日風の日、時には雪や暴風の日もあります。そんな時、自分の心の持ち方一つで春を待ちわびる暖かな気持ちになれる!元気に胸を張って、野を越え山を越えてやがて来る春を北風の中にも春を呼ぼうよ春を!という歌です。吉永小百合の若々しい透き通る声が聞こえてくるようです。

花々-9
「ライラック」の新年会で集まりました。天草の(ふぐの小川)から4~5人前のセットを2セット送って頂いて、ふぐ刺し、ふぐちり、から揚げ、ポン酢や皮も入っていますので野菜やお豆腐、白滝を用意するだけで、すぐに食べられます。和気藹藹、、今日はお仕事はしないで着付けのNYさんやKMさんに自分で前で結ぶ帯や着付けの実践をして貰って皆で感心して眺めました。皆さん、今年も宜しくお願い致します。

ふぐでおめでとう!-5
三が日頂いたおせち料理の白木の三段重の箱が空きました。綺麗に洗って干しておいたのを井田病院の絵手紙スタッフの後藤和子さんにお願いして絵を描いて貰いました。素敵に出来あがって、天草新年会の景品に出すのが勿体ないようですが、当たった人は喜ばれるでしょうね、出します。後藤さん、有難うございます!

おせちの重箱-6
大晦日にニューヨークから帰省していた隣の長男が7日には帰ります、6日お夕飯は何を食べたい?鰻が食いたい!
目黒の、「うなぎ 大黒屋」に出掛けました。うな重、う巻き、沖縄もずく、好きな物を取りました、私は、う雑炊をとって、皆で熱々を分けました、体が温まります。風邪を引かないように、元気で頑張って下さい!

鰻の「大黒屋」
沢山のお年賀を頂き有難うございます。私からのお年賀を失礼させて頂いておりますが、どうぞお許し下さい!
干支に因んで「酉」の絵手紙が多く、皆さんそれぞれ趣向を凝らした一枚一枚を楽しみに拝見しました。井田病院緩和ケア病棟のエレベーターホールの壁に、パネル2枚に縦型と横型に分けて展示して見て頂いています。「酉」ではなくても、シクラメンの花もありました。カラフルで大きな花弁が上に向かって大きく開いていますので、元気が出ます。今日頂いたお年賀にはシクラメンを大きく描いて(ずっと、ずっと、天草に来て下さい)と添え書きがあり、思わず涙が出そうになりました、絵手紙を描く喜び、ポストに入れる喜び、お返事を頂く喜び、皆さん、有難うございます。

絵手紙に励まされる
7日は約束した高校の同級生4人でランチです。雲一つない晴天で54階は都心から遠くの山並みまで見えます。いろいろ昔の話が出ました。当時男女共学になって余り年数も経っていなかったので、男子生徒との交流は殆どありませんでしたので、知らないお話が沢山あって、吃驚もしました。5日にあった1年5組のクラス会も、男子3名女子6名の出席者があったそうで、私は井田病院の用事で行けなくて残念でした。このクラス会は、1年5組に因んで毎年1月5日15時、銀座ライオンビルに三々五々集まり、自分の飲食代を払うシステムになっています。何時来ても何時帰っても自由、好いですね。このクラス会とは別に4人の集まりは次回4月を約束して解散しました、お疲れ様、お世話になりました。55階の新宿三井ビルのガラスに太陽が反射して眩しい!

都庁近辺-5
庭の梅の枝に輪切りのミカンを刺しました。程なく番いの目白が飛んできて仲良く突きはじめました。長閑な日射しの中、風もなくこの平穏に感謝しました。

癒やされる
お正月の買い物もしていなかったので31日は梶ヶ谷駅前の「東急ストア」に買い物に出掛けました。いろいろと仕入れたので、岩崎せっちゃんを誘って家で乾杯、夜は、姪の長男がニューヨークから帰宅するのを待って、乾杯と年越しそば、「紅白歌合戦」が終わって、皆は近くの梶ヶ谷神社に初詣に行くのを見送って一人ブログを更新、様々な思いが胸を去来します。夕刻、中学校以来の親友から電話があって、先日急に息苦しくなって、近くの病院に行ったら、即救急車で立川共済病院に入院した、との事、吃驚、どうしたの?軽い心筋梗塞で何時退院出来るか分からない!年末、沢山の伊達巻を送ってくれるのですが、今年は造れない!伊達巻どころじゃないでしょ!彼女は絵手紙やマット縫いや段ボールの箱再生などボランティアを一生懸命やって、亡くなった娘さんの忘れ形見のお孫さんの面倒を見て、かなり疲れていたのでしょうね!最近は「お互いに無理しないでやりましょうね」と云い云いしていたのに!でも、早く分かって良かった、私より先に逝っては絶対駄目よ!!元気になって!

猫ちゃん-2
姉と一緒にハワイ旅行に行っていた姪が帰ってきました。安部総理の真珠湾訪問と重なって警戒も厳しく、今円安で買い物も控えがち、お天気は最高で、やはりハワイはいいですね!本場のポップコーンとキラキラビーズの黒のハンドバッグを頂きました、有難う!平成の初めころ、ハワイにマンションを二つ購入して、一つは賃貸にして一つは自分用に度々行きました。あの頃は若かったのですね!明日の年越しのお蕎麦ように、昔から馴染みの天ぷらやさん「天松おもて」に行ってお昼ご飯を頂いて、明日の天ぷらを頼んできました。お蕎麦は、新潟の「へぎ蕎麦」が毎年届きます。天松のマスターに、生き車海老の捌き方を尋ねました。頭を外したら30分くらい冷凍にすると殻が簡単にはがせるそうです。今度やってみます。揚げたて熱々の天ぷらは美味しい!最後のミニかき揚げ天丼まで綺麗に頂いてもう満腹、昼間からビールも飲んでしまって、まぁ~特別年末だからいいか~!

天松・表
昨日「ワールドフラワー」でパンジーの苗を買ってきました。パンジーはカラフルですしかなり長持ちします。植えたばかりの時は、隙間がありますがどんどん成長して花壇いっぱいに咲いてくれます。近所の猫好きの家で沢山の猫を飼っていて困っていますが、凸凹の猫除けを隙間に敷いておきます。カサブランカやいろいろの苗も植えました、楽しみです。

花壇にパンジー植えました-1
近くのご紹介をもう一つ。「高橋お伝のお墓」
近くの公衆トイレの隣にお花が添えられた自然石のお墓が「高橋お伝のお墓」です。高橋お伝は(明治の毒婦)と言われて、日本で最後の打ち首の刑に処せられた女性とされています。トイレの隣に境界もなく道端に無造作に建てられている傾きかけたお墓には、いつもお花が添えられているのは、何故かしら?

高橋お伝のお墓
谷中霊園の名所(1)幸田露伴の小説「五重塔」は谷中感応寺に建立される五重塔を巡るあらすじで、映画やテレビドラマ、お芝居にもなりました。立派に建立された五重塔は、1957年7月6日、夜中に火の手が上がり、心柱を残して焼け落ち、焼け跡から焼死体2体が発見されました。二人は都内の洋裁店に勤務する48歳の男性と、21歳の女性で不倫関係の清算を図った事が分かりました。塔はその後再建されず今は礎石だけが残っていて写真でしか見る事が出来ません。。いつもお墓参りに行くと跡地に立って眺めています。

幸田露伴「五重塔」跡地
2~3日前、朝起きたら右目が充血して赤くなっていました。一週間ほど前にも充血がありましたが、すぐに治りましたのでその儘にしておきましたが、眼科の診察を受けました。梶ヶ谷の駅前に新しくなったビルが、眼科、歯科、直ぐ近くの梶ヶ谷クリニックも新築されて、内科、皮膚科、整形外科等便利になりました。眼科の検査は、最新鋭の医療機器でいろいろな検査をして、単なる毛細血管の出血で点眼薬の処方で終わりました。一安心です。ついでに、皮膚科に寄って保湿の軟膏を頂きました。明日のボランティア演奏とお墓詣りを済ませたらゆっくり出来ます。茨城県水戸市の94歳の一人住まいの従妹から、久慈の大きなリンゴを頂いたので、お礼の電話をしたら、若い女の方が電話に出て吃驚しましたが、訪問看護の方で、従姉は体調を崩して休んでいる、との事でした。かわって貰って話が出来ましたが「気持ちが悪いのよ!」声はちゃんとしていました。従姉は私の一番上の姉と女学校も一緒で仲良くしていて、姉の処にもリンゴが送られていると思うのですが姉は今、家族でハワイに出掛け、29日に帰ってきますので、知らないでいます。学校の先生を長年勤め、長命だった母親や、妹の面倒をみて生涯独身でしっかり者の従妹です。元気になって貰いたいです。

喜代ちゃんのリンゴ
年末恒例の梶ヶ谷第三公園のお掃除があります。公園の周囲の住民が集まってお掃除をします。9時には4~50人の人達がそれぞれ箒などを持って始めました。お天気も良くて暖かく、窓から眺めながらこの平穏に感謝しました、おつかれさまです、有難うございました。

公園のお掃除
沖縄の和田静子さんは高校時代の部活で美術を専攻していました。私はその頃卓球に夢中でした。当時の美術の先生は橋本興家先生で、今でもお顔もはっきりと思い出します、当時お幾つ位だったのでしょうか、30代か40代、の感じでいましたが、今年8月脳梗塞で亡くなられていました。当時まだお若かったのですね、かなりの有名人でした。享年93。大正13年から昭和31年迄、東京府立第一高女(現都立白鴎高校)で教鞭をとった、とあります。私達が高校に在籍したのは昭25年から28年迄、木版画家で日本版画協会理事長を務められたそうですが、版画のイメージはありませんでした。上野の家から歩いて15分位、浅草七軒町、時計台のある校舎、曽野綾子さんはじめ沢山の先輩がいます。高校の身体検査で「肺浸潤」の疑いを受け暫く療養を続けて、受験勉強が疎かになり受験したかった「津田塾大学」の受験を諦めたほろ苦い経験等思いだして、興家先生のご冥福をお祈り致しました、合掌。
天草の緋扇貝をご存じですか?ほたて貝なのですが、殻が色鮮やかでとても綺麗です、着色ではなくて天然の色です。チルドで送られて来ますが、着いてから2日目までは生で頂きます、貝柱とひもは生で,腸は火を通してお醤油で味付けして、美味しい!苓北町の緋扇貝は養殖現場を見学させて頂いたりしましたが、今回は天草市河浦の水産業者です、大きくて身もたっぷり、一人で五個も食べちゃいました。最高、ご馳走さまです!


天草の緋扇貝


来年のカレンダー6月に和田静子さんの朝日新聞への投稿文を掲載させて頂いたので、カレンダーをお送りしました。ご近所の方や地区長さん、東京のお知り合いで新聞をみて連絡を下さった先輩に送ります、とのお手紙が来ました。私を、小・中・高の同級生で、安田(あだ)に絵手紙の指導に四年間、八回通ったことも紹介して下さいました。和田さんは高校時代部活で美術部でしたので、絵は本格的です、皆さんにカレンダーと一緒に和田さんの描かれたシーサーを描いた案内状を書いて下さって、改めて上手だな~、と感心しました。1945年6月23日は、悲惨を極めた沖縄戦が軍司令官牛島満大将以下の司令部が自決をし、組織的な戦闘が終結したとされている日です。絵手紙の指導に伺っているときも(父が亡くなりました)(兄妹が犠牲になりました)、沢山のお話を伺いました。「沖縄慰霊の日」、この日には糸満市摩文仁の平和記念公園で沖縄全戦没者追悼式が行われます。沖縄に移住して12年、和田さんも沖縄への思いも一入とお察し致します。

沖縄・和田静子さんのシーサーの絵
茨城県常陸大宮市在住の須見とし子さんから、畑から採りたての白菜、サトイモ、ねぎ、ジャガイモが送られてきました。一年に一二度電話でお話はするものの、もう何年も会っていません。彼女は、私が小学生の時、伯母の家に疎開をしたときの同級生です。とっこちゃんは、美空ひばりさんの歌が上手で歌手になる希望を持っていました。朗らかで踊りも上手で、どんな時でも笑顔を絶やさず、可愛い子でした。70年たってもこうしてお互いの健康を気遣い、ボランティア活動を続けています。そう云えば、中学の同級生、荻原照子さんもそうです。孫の面倒を見ながら、絵手紙、段ボール箱の再生、バスタオル等を利用して縫うマットはとてもまねの出来ない作品です。それらを施設に寄付して収益にあてて貰っています。年取ってからも、元気でいられれば出来る事は沢山あります。出来る事は倖です。早速とっこちゃんにお礼の電話をかけましょう。

須見トシ子さん
せっちゃんが、島根県安来市の「足立美術館」に行って来ました。横山大観のコレクションを始め、13年連続で日本一に選ばれた広大な美しい庭園でも有名です。私も大分昔に行って来ました。素晴らしい美術館です。せっちゃんは、今年二度目ではないかしら?お土産は、ゲゲゲの鬼太郎の棒のついた蒲鉾、有難うございます。行きの飛行機からの富士山の写真を見せてくれました、熊本への行き来でも、このルートはたまにしか飛びませんので、良かったですね!

富士山上空
未だ40歳代のある時、歩きだそうとしたら右足がスムースに前に出ません、ちょっと強く踏み出してみるとポキッと音がして関節が外れるような感じで歩き出せました。歩いても痛みは有りませんでした。その経験が初めてで、その回数が増えてきました。初めて聖路加病院の整形外科で診察を受けた時、三上先生は、「今の人工関節は10年位しかもたないから、症状が進んで、日常生活に不自由を感じたら手術をしよう」と云いました。平成6年、東京メトロの赤坂駅の長い階段を上るのに手摺りに掴まりながら登りました。今は、地上までエスカレーターやエレベーターがあって周辺も替わりました。平成20年、二回目の手術で人工関節を入れ直しました。この変形性股関節症は圧倒的に女性に多く、私の場合は原因も分かりません。黒田先生は、思い物を持たない、正座をしない、長距離を歩かない、杖を使用する、等検診を受けるたびに云います。「大事にしろよ!」「はいっ!」お骨のなった時、どうなっているのかしら??
今日は6ヶ月毎の聖路加国際病院・整形外科の検診の日です。9時の予約になっていますが、渋滞を心配して7時に家を出ました。渋滞もなくよく晴れて気持ちの良いドライブです。8時半にはX線撮影も終わって診察室に呼ばれました。何時もよりも丁寧に画像を診てくれて、半年先の予約で終わりました。聖路加国際病院は、東京に住んでいた時から、母が倒れた時、姉もここに入院してお世話になり、私も平成6年、最初の変形性股関節の手術をここで受けました。当時整形外科部長の三上先生はお亡くなりになって、助手を務められた黒田先生が6年前の二度目の手術を執刀して下さって、長い事担当して下さいます。「大事にしろよ!」と何時も云います。先日、テレビで、オウム真理教の築地サリン事件の番組がありましたが、聖路加に次々と運びこまれる被害者の方々を、診察する日野原先生や三上先生の映像を視ました。あの日、事件を知って築地に買い出しに行っている筈の板前を心配しました。遠い日の出来事です。今日は何処にも寄らずまっすぐに帰宅しました。銀座インターから西に向かう首都高渋谷線は終始、真っ白に雪をかぶった富士山目指して走ります。早く帰れて良かった、お仕事が出来ます。

聖路加国際病院-1
山形からリンゴ、天草からスィートスプリングが送られて来ました。蜜がたっぷり滲み出たリンゴ、こちらではお目に掛かれない青々とした甘いスィートスプリング、明日からの絵手紙の画題にして、終ったら皆で賞味させて頂きます。居ながらにして北から南まで美味しい物を頂けて倖せです、有難うございます。

北と南のグルメ
何処にいても、何をしても、日々の営みは「お蔭さま!」です。今回も「お蔭さま」で川崎に帰りました。天草で帰宅が近くなって会食をする時は、「お世話になりました、今生のお別れです!」と言って大笑いします。もしや、も知れず、又、会えたら最高!。浄土宗のご詠歌に、宗祖法然上人御作、(清水阿弥陀堂のご詠歌)があります。
       阿弥陀仏と 十声(とこえ)唱えて まどろまん 長き眠りと なりもこそすれ
という短歌で、メロディーもゆったりと、私の好きなお歌で寝室に額にして飾ってあります。今日も精一杯生きれば、この儘、長い眠りになっても悔いはありません、年を重ねるとその覚悟が出来ます。そのように思える今を幸せに思います。

雪の日は-5
先日教えてもらったウッドバーニングのテストをしてみました。出来具合が心配でしたので6本100円のお安いスプーンでやってみました。慣れてくると面白く、酉、スヌーピー、お正月、猫バージョンなど、短時間で書くことができます。
実際に洗ったり出来るか分かりませんが、今回は忘年会の席の名前に使えるかと思います。名前を書いて持って帰って頂きます。楽しみ!

ウッドバーニングのテスト
来年の絵手紙カレンダーの原稿に集中しています。天草エアラインが29日、阿蘇くまもと行きが欠航との事で帰宅を一日早めましたので、急いでいます。12月になったら、教室の皆さんや、緩和ケアに入院中の患者さん、正行寺さんにご挨拶に来られる方々、忘年会の参加者にも差し上げたいと思います、皆さんの反応が楽しみです。

カレンダーの表紙絵
もう一つ、デコパージュです。帆布の様な固めの布に、ナフキンを薄くして貼りつける手法です。石鹸にコーティングしたのを頂いた事がありましたが、それと同じなのですね、ナフキンはカラフルな楽しい柄が沢山ありますので楽しめます。自分で実際にやって見て、川崎の友人達にお話ししたいと思います。お疲れなのに、遅くまで有難うございました。

デコパージュ
知り合いの娘さんが、とても器用な人で可愛い手仕事をしています。私も是非教えて貰いました。
「ウッド・バーニング」 : 百均で売っている木製、又は竹製のスプーンやコースター等、なんでも電気コテのようなペンで絵柄を描いて焼きつけます。彼女は若いので、下絵もなしに可愛らしい絵を描きます。私もやってみたくなってお道具をお借りしました。又楽しみが増えました、スプーン等リボンを付けてプレゼントしましょう!

ウッドバーニング
絵手紙教室を始める前に、各教室のお世話をして下さる方々に集まって頂いて、打ち合わせを兼ねて親睦を図ります。今日はお二人欠席で13名の方達とお昼ご飯を頂きながら、談笑しました。私も今年最後の教室になりますので、酉の年賀状や新年会の打ち合わせ等、相談しました。皆さん、持ち寄りのお惣菜やお菓子に話も弾んで、尚お持ち帰り頂ける程、最後まで楽しく過ごしました。お茶会やランチ会など、誘って頂いて楽しみも増えました。25日、27日、宜しくお願い致します。

絵手紙役員会
一夜明けて清々しい朝を迎えました。気分は最高!天草の自然は素晴らしいです。穏やかな有明の海も光っています。
清浄な空気を胸一杯に取り込んで体の底から心気一転、素敵な朝を迎えました。

先日、朝のワイドショウで東京・池上のお寺さんで手製のお守りを販売した処、予約が殺到しているそうです。唯のお守りではなく、和柄を二種類組み合わせて創るのだそうです。和柄にはそれぞれ意味合いがあって、例えば、トンボ柄は前進を意味し、なぜならトンボは、後ろには飛べないそうです、青海波は波の柄が何処までも続きますので永遠を意味する、等、成程、と感心しました。自分の願いをこの和柄に託して、柄を選んで創って貰うのだそうです。3000円!手創りだからしょうがないかな~?そこで、早速調べました。千代紙で子供も創れる、とネットにありました。試してみると、可愛い!中にはお清めのお塩を入れて願い事を自分で描いて、忘年会で一寸の時間で出来ますので、皆さんに創って頂こうと思います。

手創りのお守り



今日の「お十夜法要」で住職のお手伝いをしたご長男の副住職さん、大きな体格で立派になられて吃驚です。先代の住職さんもお手伝いに出られ、微笑ましい様子です。只、闘病中の白石先生のお姿がないのが寂しいです。寒くなりますのでお風邪を召しませぬよう、又お顔を見せて下さい!

お十夜
朝9時に出て、帰宅が午後10時。歌舞伎座の昼の部の演目四つ、夜の部、口上を入れて四つ、さすがに一寸疲れました。場内で遅いお昼のお弁当を頂いて、夜の部が終わるまで食事をとらないで帰ってきましたので、軽い夜食を頂いてすぐに休みました。今回は、大道具さんの動きの素晴らしさに吃驚、舞台が回って、落ち着くまでの動きの的確で素早い事、絨毯の始末の仕方、建物の継ぎ目もピッタリ併せます。いろいろと刺激を受けて凄いな~と、感嘆しきり、そして無事に帰れて有難うございました、お留守番も有難うございました。

團菊祭五月大歌舞伎-2
楽しい絵手紙を頂きました。笑い文字、というのだそうです。漢字でもひらがなでも、思うようにデザインして、にこにこまーくやハートを入れたり、自由に楽しく表現します、私も考えて描いてみましょう!

11月の絵手紙-1-21
7日に執り行われる「お十夜法要」には、参詣の皆さんに私達の絵手紙をパネルに貼って見て頂きます。いつも、メンバーの皆さんが一生県命に描いて下さいますので、安心してお任せしています。スペースが余ったときの事を考えて、私も用意をしました。来年は酉年ですので、簡単な鶏を描きました。古来より鶏と人間は密接な関係にありました。干支の鶏は稲を始め穀物の結実、収穫を意味し、形状は酒を盛る器の象徴であると云われています。そのことから酉は、取り込むの「取」になり「福取り」の神として信仰されて酉の市等に発展していきました。また、「金鶏伝説」が各地に存在する程、鶏が黄金とは切っても切れない関係にあります。などなど。そろそろ年賀状の準備も致します。

お十夜の絵-1
井田病院の絵手紙のメンバーに集まって頂いて、11月の天草の絵手紙教室、と12月の川崎・横浜の忘年会用のお土産を作りました。名付けて「ラブリーハート」、フエルトを2枚組み合わせてハート型に編みこんで、デコレーションを付けて中にポプリを入れて作ります。相当な数になりますが、今日は2回目の集まりで大分出来ました。もう4時過ぎると暗くなり始めます、Nさんのご主人が迎えに来て下さって、5時過ぎ、一段落した処で終わりにしました。お蔭さまです、有難うございました。

いつも有難うございます
先日、急逝された高校時代の親友のご主人の納骨が終わって、喪主を勤められたご長男からご挨拶がありました。
F様ご夫妻には、長年に亘って佐賀県有田の陶器市に何回も連れて行って戴いて、陶磁器に関するいろいろを教えて頂きました。ご挨拶にも、有田の14代今泉今右衛門作の飾り皿が添えられていました。友人は今年17回忌を迎えましたが、お二人揃って昔話に花を咲かせていることでしょう。改めてご冥福をお祈りいたします。合掌。

飾り皿


以前から興味を持っていた事があります。東京から遥か南に1000キロ、小笠原諸島の西の島の火山活動です。2013年から15年まで、噴火を繰り返し、活動が落ち着いたと環境省が判断して、噴火後初の上陸調査をしその結果を、今日の朝日新聞で発表しました。噴火前からもともとあった旧島が残る島の西側を中心に生物や溶岩等を調べたそうです。人の影響を避けるため、近くまでボートで近づき、その先島までは泳いで渡ったそうです。もともと島で生息していたアオツラカツオドリが営巣、子育てをしたり、昆虫やダニもいて、オヒシバやスベリヒユ等の植物も確認。担当者は「生物は貧弱な状態で、なるべく人の影響を排して見守っていくことが重要」としています。この島が出来たことによって、日本の水域が70キロも広がるそうで、海図の作成も急がれるとの事です。

10月26日の朝日新聞-2
平年よりも26日遅く、富士山の初冠雪のニュースが朝日新聞にありました。早速、二階の窓から覗いてみましたが視界があまり良くなくて、写真を撮れる状態ではありませんでした。季節は確実に秋から冬に移り変ろうとしています。我が家の庭も、花ミズキが紅葉し始め、千両の実が赤く、ほととぎすが鮮やかな紫色の濃淡で風に揺れ、ツワブキの花も背を延ばして黄色に咲いています。この静寂、換え難い一時に心安らぐ今日の始まりです。

10月26日の朝日新聞-1
午後1時半から、横浜市鶴見区の正行寺さんに集まって、11月7日(月)の「十夜大法要」のご詠歌の練習をしました。宗歌「月影のご詠歌」「十夜和讃」「受戒和讃」「かたみとてのご詠歌」です。「受戒和讃」は6番まであって4番が詩吟です。「かたみとて」も法然上人の母、秦氏君の御作で、「かたみとて はかなき親の とどめてし この別れさえ またいかにせん」 と、遠く比叡山延暦寺に修行に去る我が子と別れる辛さをを詠まれたお歌です。3時から住職と念仏会、終わって住職を囲んでお茶の会、お部屋には暖房が入って、ほッとする寒さです。はや、暮れかかる空から雨が降ってきました、今日も無事に終わりました、有難うございます。

正行寺・念仏会
絵手紙の忘年会が決まりましたので、皆さんにお知らせしようと思います。毎年3か所のグループが合同で行っていますので、早めのお知らせです。この「お知らせ」と会場の「きじま」のパンフレットをお配りして12月の絵手紙の日までには出席者の人数を決めます。準備が整いました。後は幹事さんにお任せ致します。

忘年会のお知らせ
一昨日の夜、お月さまが冴え冴えと綺麗!と夜空を仰いで、長い秋の夜を満喫したのに、今日は雨の一日です。
静かに小糠の雨が、降るとも見えず、庭の木々を濡らしています。傘もささずに庭に降り立って吃驚!(ほととぎす)が植え込みの奥で咲いています、(紫しきぶ)の実も色ずいて隣の千両の黄色くなっている実と、素敵なコントラストです。お仏間の仏様にご挨拶をして、今日が始まります。午後から、大正琴でのボランティア演奏に出掛けますので、ご無沙汰している大正琴を取り出して少し練習をします。今日も一日無事に過ごせますように!

秋の庭-6
毎月一回、集まって小物を作ったりお喋りを楽しむグループがあります。グループの名前を付けたい、と思って、メンバーのお一人、元CAの涌井清江様にお願いしたら、翌日にお返事がありました。

①案 LILAC  Ladies Intelligennt Loving Always Caring  花言葉(思い出、友情、謙虚)
          愛らしい、いつも、人を思いやる 知的な女性
②案 CHERRY Caring Home Ever Ready to Rester Youth 花言葉(純潔、潔白、精神美)
          家庭を思い、いつも、若さを蓄えている

単語の頭文字を花の名前にして、素晴らしいです。さすが!!
次回、皆さんと決めたいと思います。涌井様、有難うございます。

LILAC

          
今、無花果が出回っています。先日は新横浜のプリンスホテルで天ぷらを戴きましたが、今日はデザートについてきました。アイスクリームとの相性抜群、美味しかったです!戦争中、疎開した北茨城の伯母の家の裏庭に無花果の木があって、摘んで食べたのを思い出しながら、世話になった優しい伯母を偲びながら食べました。素敵な環境でゆったりと、心豊かな時を過ごせる有難さ、みんな、みんな、有難うございます。

デザート-2
今日、新横浜に試食に行った人達から、NKさんに遅まきのお花のお誕生日のプレゼントがあって、又、ハッピーバースデーを歌いました。皆さんに良くして戴いてNKさんは勿論、私までとても嬉しいです。皆さん、有難うございます。

毎日ハッピーバースデー
連休も終わりました、気温が下がって寒さを感じるほどです。秋晴れにはなりませんが、秋の深まりを感じます。今日はいつものお仲間が集まりポシェットを縫ったり、遅くまで皆さん頑張りました。フエルトを使って、ハートの形に編みこんでリボンやキラキラをデコって、中にポプリをいれて作ります。色の組み合わせでクリスマス用、プレゼント用、作りました。この集まりも回を重ねて楽しみにしていますので、会の名前を付ける事にしました。メンバーのWKさんが、以前フィリッピン航空にお勤めでしたので、英語がお得意、彼女に横文字のいい名前を付けて下さい、とお願いしました。楽しみに次回の打ち合わせをして、賑やかに夕食を済ませて8時過ぎに解散、お疲れ様でした、気を付けてお帰り下さい。

ラブリーハート


終日曇りがちで夕刻には肌寒さを感じました。遺影とお骨、お位牌も世田谷区等々力の自宅に無事に無言の帰宅、全てが終わりました、川崎の自宅に戻っても、皆しんみり、皆で温かい物でも食べましょう、と近くの温野菜のお店に5人で出掛けました。連休の最終日の7時、店は賑わっています、飲み放題、食べ放題のコースを選んでなんでもお代りお代り!一つ鍋で二つのだし汁、お肉や野菜をたっぷり入れて頂きました。若い女の子の気が利いて良く働く事、「えらいわね、頑張ってね!」思わず声を掛けました。デザート迄頂いて大満足!9時、滑り込みで家電の「こじま」で買い物を済ませ帰宅しました。新潟から、コシヒカリの新米が沢山届いてお礼の電話を入れました、お蔭さまで今年も美味しいご飯を頂く事が出来ます。岡山と親友に早速宅急便で送りましょう。

温野菜鍋
午後から暇が出来ました。成人式に使うような綺麗な帯をバッグの中に入る大きさのセカンドバッグを作ってみました。一本の帯から、柄のある処だけを使って13個のバッグが出来ました。仕立てるのは、又、暇を見ながらやります。
綺麗な物を扱っていると、気持ちも明るくなります。

セカンドバッグ


夜10時、ETVで「にっぽんの芸能」を視ました。生田流の「野坂操壽」という女性でした。25本も絃のある大きなお箏を何曲も演奏され、ものすごいです。初めに十三弦の普通の箏で「六段の調べ」をお弾きになりました。録画を何回もリプレイして視ました。ただただ、ため息が出るばかり。あまりの感激に遅くまで寝付かれませんでした!!

「天草三曲会-3
10月1日、天草でのすべての予定が終わりました。午前中に宅急便を出してお掃除も済ませホッとしました。暑さの中、又降りしきる雨の日、そして秋を感じた日、忙しかった日も、ゆっくり休んだ日も、私にとっては楽しく貴重な時間でした。夕刻から、NKさんの傘寿のお誕生日を「焼肉屋さん」でお祝いして乾杯しました。縁があって30年以上一緒に暮らしていますから自分よりも大事な存在です。これからも元気に無理をしないで、暮らしてほしい!と切実に思います。一緒にお祝いしてくれた友人達、アツアツ・ジュウジュウのお肉、海鮮大盛り、サラダバーもお願いして満腹!二次会に「カラオケBANBAN]に寄ってNKさんの好きな美空ひばりさんの歌を歌いまくりました。1時間の予定が2時間になって、お開き。カラオケには、ほとんど行ったことはありませんが、凄いですね、びっくりしました。今回の最終日を賑やかにお祝い出来て、本当に良かった、良かった!天草の皆さん、有難うございました、又11月お邪魔します。

花々-4
天草三曲会の今年度の研修会がありました。研修会も15回を重ねました。尺八の先生8名、お箏と三絃の女性が4名、尺八の先生方の奥様も応援して下さって、和やかに賑やかに各課題曲を演奏しました。私は、萩原清山先生の尺八で「六段の調べ」を演奏しました。落ち着いて、落ち着いて、と、思いながらも緊張して間違えたりしますが、無事に弾きおえて萩原先生と握手をしました。他にも、「黒髪」「矢部の郷」をご一緒してくださって、皆さん有難うございました。まだ幼いころ、亡くなった姉と二人、近所の目の見えない山田流の先生にお稽古に一年くらい通ったことがありました。短い間でお稽古に行かなくなりましたが、姉はそのお箏を大事にしていて、今は私の手元にあります。もともと、素養もないうえに70年以上のブランクがあり、年老いて感覚も鈍っていますので覚えも悪くて悪戦苦闘していますが、天草で又、お稽古を始められて、楽しんでいます。なんでも、お稽古事は小さいころから継続してやらねばならない!と痛感します。今回も、先生や諸先輩にお世話になりながら、ストレスを感じながらも、結構楽しみました。良かった・有難うございました!
川崎でもお稽古に励みたい、と思いますが・・・・・?

「天草三曲会-1


九州・沖縄の地方TVでは、連日、熊本地震の復興を目指して、助け合い、懸命に生きる県民の皆さんの様子が放映されています。どのお顔もほほえみを浮かべて、穏やかに対応しています。倒壊した家屋も其の儘、という家も多く、苛酷な状態は変っていません。でも、そのような状況下、今日は被害の酷かった益城町の川沿いに、真っ赤な彼岸花が連なり咲いて秋の訪れを語っていました。篤志家の方が16年に亘って、植え続け見事な景観となっています。人々が、、川沿いを散歩する画像は、地震が夢でもあったような長閑さを感じました。心、安まるニュースでした。

荒尾町の彼岸花
大矢野からSRさんが来てくれて、「海老の宮川」の一日10食限り、のらんちを頂きました。天草のみなさんには、おなじみですが、予約をしなければいけません。活車えびも一匹付いて海老のかき揚げ、他にも盛りだくさんで食べきれないほどです。又朱塗りの器が、一寸法師が乗るお椀の舟のように立派で直径30センチ以上ありそうです。天草は、海老の養殖が盛んでプリプリした食感はここでなくては味わえません。とても美味しく戴きました、ご馳走様でした。

海老のランチ
夕方、約束をしていたSSさんとYSさんと食事の約束です。お二人の休日を打ち合わせて集まりました。スーパーではなく、お肉専門のお店で、宮崎県さんの牛肉です。お二人とも車で来ますので、乾杯用にノンアルコールを一口づつ、冷蔵庫の余り物も、焼いたり、炒めたり、つい食べ過ぎてしまいます。忙しい二人なので帰るまでにもう一度くらい、会えると嬉しいけど?? かたずけも手伝ってくれて食後の果物は、冷やした西瓜で締めくくり、ついつい、食べ過ぎてしまいました、美味しかったです。

浄土宗「彼岸和讃」

生きとし生ける いのち皆 三界流転 定めなし
われら仏性 具せる身は 仏の道に目覚むべし

小雨の降るお彼岸を迎えました。横浜の正行寺さんには、お手紙でお彼岸のご挨拶をしました。浅草の亡くなった姉のお寺さんには、よし子姉さんがお参りに行ってくれます.
ご先祖さまや、先だった懐かしい沢山の人を偲び感謝の思いで静かに過ごします。 
                                                                         


文化祭の第二部は、天草出身のボニージャックスのリーダー、玉田元康さんの出演でした。お得意のナンバーの他、(朧月夜)(里の秋)(みかんの花咲く丘)(赤とんぼ)など、客席の皆さんと一緒に歌いましょう!とプリントを用意してくれました。東京でお馴染ですので、楽屋にご挨拶に伺わせて頂きました、いつもはもっと近くでマイクなしでお聴きするのですが、何時聴いても素晴らしいお声です。思いがけなくお会い出来て嬉しくなりました。天草の皆さんも喜ばれた事でしょう。ご活躍を祈っています、又、東京でお会いしましょう、今日は有難うございました♫。

BONNY JACKS 玉田元康さん
今日面会に行った甥の哲也!昭和38年、文子姉に待望の男の子が生まれました。可愛い子でにこにこと順調に育ちましたが、お誕生日を迎えても首が据わらず、一番初めに気がついたのは長姉でした。文姉は「この子は、未熟児で生まれたから、成長が遅いのよ」と余り気にしている様子もありませんでした。成長するにつけ、歩けない、言葉を話さない、等姉も心配してあらゆる病院を駆け回りました。そして、当時、大分県にあった「南風ビラ」という、子供専門ののリハビリ施設に入れ、自分は銀座のお店の傍ら、一週間に一度大分に通いました。退院の時は、哲也が慕っていたお手伝いさんにも川崎に来てもらって、手を尽くしました。姉の夫、勲ちゃんはいとこ同士です。勲ちゃんが、早稲田大学に通う事になって、上野の家に来て一緒に暮らしました。母と勲ちゃんのお母さんは姉妹です。結婚に際しては、周囲から猛烈な反対がありましたが結婚しました。
そして、結局、姉は哲也を連れて上野の家に戻ってきました。叔母夫婦は、「東京で育てるより、千葉の自分たちの家に引き取って育てた方が哲也の為だから、と母と姉と話し合い、哲也は千葉県流山に移りました。叔父は建設省に勤め、叙勲を受けた豪快な立派なひとでした。叔父叔母は、自分たちで歩行訓練やリハビリに励み、養護学校に送り迎えし、お手伝いしてくれる人を見つけて、とても、とても、可愛がって大事に育ててくれました。危なげながら歩けるようになり、発音もはっきりしないけどこちらの言う事は分かって受け答え出来るようになりました。昭和44年、離婚した後も姉は流山に通いました。45年8月、勲ちゃんは、セスナ機を操縦し、府中の飛田給の飛行場を飛び立ち、広島に向かい、広島の白山に激突、一緒に乗っていた友人も共に亡くなりました。翌日早朝のTVのニュースで知ったのです。あれから、間もなく50年、叔父叔母、母、姉、勲ちゃんの兄妹も皆いなくなってしまいました。遺された哲也は姉の遺言により、私達姉妹が後見人となりました。哲也は、姉に似て社交的「お茶飲んでいきなよ!」などいいます。又、勲ちゃんに似てひょうきんです。沢山の皆さんのお世話を頂いて、本人はいたって元気、朗らか、私も哲也に会った日は、気も沈みがちですが、笑顔に救われます。障害を持った家族の思いが、ある事件をきっかけに語られていますが、よく分かります。何事も運命、しっかりと受け止めて前向きに、共に生きていこうと思う日々です。


花々-24



今日、9月14日は、五和町御領の施設でお世話になっている甥の哲也のお誕生日です。9時過ぎに家を出て、本泉の松尾造園さんにご挨拶に寄り、ケーキ屋さんでミニデコレーションケーキを買って、彼が好きな、紐・コピー用紙・手帖・TVガイド・ドリンクコーヒー等を揃えて、いきました。玄関で待っていてくれて、手を引っ張られるようにして、お部屋に連れていかれました。まず、お土産を点検してから、ケーキを催促されて、蝋燭に火を灯し、ハッピーバースデーを歌いました。両手を上に何度も上げ下げして、喜びを表現します。「哲也はいくつになったの?」と聞いてみると、聞くたびに違うことを言うのですが、今日は32歳、と言います。実は昭和38年生まれ、53歳になりました。皆さんのお世話になって元気で暮らしていますが、哲也に会うたびに、この子を遺して逝った姉を思い出し、終日悲しい思いで過ごします。お部屋には、お友達も遊びに来てくれていて、仲良くしてくれています。昼過ぎ、おいとまをしてあちらこちら、数件の用事を済ませて疲れました、でも、私自身、元気を取り戻して動き回れるようになって本当に良かったと有難く思っています。


忙しい一日
天草に送る宅急便の準備をしダンボール二個になりました。宅急便屋さんの話によると、天草行きの荷物は、パールラインの工事の為、荷物の到着が遅れる見込みで、承知してほしい、との事です。台風の影響なのでしょうか、遅れても差し支えのない物を入れました。いつも、宅急便を出すとホッとします。体調も少しづつ戻っているような気がしますので、大丈夫だとおもいます、あまり無理をしないで楽しみます。

天草の家-5
今日は何時もの通り10時半から野村先生宅で大正琴のお稽古がありました。平成10年から始めて16年、今日が最後のお稽古になりました。NSさんに野村先生を紹介されて、ボランティア活動にも参加していましたが、NSさんの都合で卒業することになりました。優しく、分かりやすく、親切に教えて下さってここまで楽しく続けてこられたのだと感謝しました。最後の曲は「いい日旅立ち」でした。長い間有難うございました、野村先生もお元気で御活躍下さい。

大正琴
近くの「あおばクリニック」に予約をとって行きました。血圧正常、熱なし、食欲普通、難波先生は「疲れたのでしょう!」と云って睡眠薬を一週間分処方してくれました。前の藥局へ行って待っている間、薬剤師さん達の動きを観察しました。昔と違って今は調剤することもなく、箱から取り出すだけみたい、天秤で粉末の量目を計って乳鉢で研磨したり、薬包紙に包んだりとかは無くなってしまったのですね!お蔭さまで久しぶりに朝までぐっすり眠りました。先生、有難うございました、一週間様子をみてみます。

あおばクリニック
台風10号が接近して心配しましたが、太平洋岸を北上して東北地方に上陸しています。川崎は、激しい雨が降ったかと思えば、日が射したり不安定な天候ですが、風もなく普段とあまり変わらずに日が暮れました。天草の絵手紙で暫くお顔を見なかったATさんから絵手紙が来てお元気の様子に安心しました。他にも気になる方々がいますが、安易に消息をお聞きするのも憚られ、と云ってこちらからお便りを差し上げるのも遠慮しています。9月にはお目に掛かれるかも、楽しみです。良い日、一日、早速お返事をしたためます。

荒木さん
正行寺会館の絵手紙のメンバーに鶴見区獅子ヶ谷から来られるグループがいます。今日は4人の方と家で昼食をご一緒しました。台風10号が接近していて雨模様ですが、暑さは和らぎ過ごしやすく、カレーライスをメインに持ち寄って下さったデザートやケーキで楽しみ、小物入れを仕上げて持って帰って頂きました。8月の教室は夏休みでしたので、皆さん9月を楽しみにしています、と云って帰られました、楽しんで戴けて良かった!

獅子が谷グループ
STさんが、帰りました。ご主人が迎えに来て7泊9日の滞在でした。ホッとしながらも、居るべき人がいないという事は寂しく思います。介護1が認定される、という事はどの程度の事なのか、初めての体験で私も勉強になりました。週二回のデーサービス、月一回のショートステイ、ご主人の話では、本人は行きたがらない、そうですが行ってもらわないと周りの人達が大変ですね!帰りには「お世話になって有難う」とご挨拶も出来、私も「又、遊びに来てね!」と別れました。
歳を重ねれば、何事が何時起こるやも知れず、他人事とは思えず考えさせられた一週間でした。

8月の絵手紙-2-9
先週14日、高校時代の友人MYさんからSOSの連絡が入りました。同じグループのSTさんが「何処か1週間くらい泊れるホテルを探して下さい」との電話があった、との事です。STさんとは5月に4人で湯河原の旅館「まきやま」で二泊していますので、心配しましたがご主人と喧嘩をしたようでした。介護1が付いて少し記憶が曖昧になっていますが、高校を卒業して明治薬科大学を出て、慶応病院の検査技師として、定年までも勤めた彼女です。私もこの処ずっと家にいますので、兎に角、ご主人に連れてきてもらいました。一緒の部屋に寝起きして暮らして一週間経ちました。やはり、家に帰りたいらしく明日26日には迎えに来てもらうことにしました。毎日、誰かしら友達が来たり、姪が様子を見に来てくれたり一緒に食事やお茶をして、買い物にも行って行動を共にしました。何があっても、自分の家が一番です、彼女も少しは気が紛れて家に帰ってくれて落ち着いてくれたら良いのですが、そう願っています。
ミシンの調子が悪くなって動かなくなってしまったので、修理に来てもらいました。蛇の目ミシンのベテランの川村さんですが、すぐに直りました。厚い生地を縫っていたので、下糸のオカマがずれてしまっていたそうで、お掃除もしてくれて助かりました。ついでに、24時間お風呂も見て貰って古くなった部品の交換や付属品の注文もしました。親切に丁寧にやって下さるので、私も一緒にやり方などを見ていましたが、お風呂場の窓を開け放っても風もなくムシムシと暑く、汗が流れ落ちます。こんなに汗をかいた事もなく(夏とは、こうなんだ!)と納得しました。

暑い!
初めての「山の日」。山登りにはあまり馴染がありませんが、四季を問わず山々の景観は大好きです。子供のころ姉達との富士登山が今でも強烈な印象で脳裏に浮かびます。高校生になったばかりの頃、詳細は忘れましたが、御殿場口の5合目から登り始めて途中岩場で休んだりしながら山小屋で一泊して、澄んだ星空を仰ぎながら頂上目指して夜中に登り始め、ご来光を拝みました。雲ひとつなく眼下には薄靄が掛かった湖がいくつか見えました。生涯忘れられない感激です。下山の途中に(須走り・すばしり)という斜面があって、踵で砂を踏みしめながら下りますが結構傾斜があって駆け足になりました。下から冷たい霧の様な白い風が吹き上げてきて、私は初めて両腕に「寒冷蕁麻疹」を経験しました。
今日の「山の日」が施行されるようになったきっかけの一つは、作曲家の船村徹さんが出身の「下野新聞」のコラムに、海の日があるのに、山の日がない!と山の日を提唱したのがはじまりで、山岳会や林業会から賛同が広がりました。当初案は8月12日でしたが、群馬県が異を唱えました。1985年のその日、日航機が御巣鷹の尾根に墜落して520人の命が失われた日です。そして8月11日になったそうです。先日の、リオのオリンピックの開会式で聖火が点灯された時、2020年の東京オリンピックの聖火は(ダイヤモンド富士)をイメージしたらどうかしら?等想像しました。

ダイヤモンド富士-9
沖縄の絵手紙のメンバーの方達から、マンゴーが届きました。国産のマンゴーはとても高価で買って食べる事はありませんが、嬉しいです。仏様にお供えしてご馳走になります。「沖縄にも来て下さいね」とありましたが、行きたい!行きたい!もう何年行っていないかしら?元気なうちにもう一度お邪魔したいです。沖縄に播いた絵手紙の種が実って、花が咲いています。皆さん、有難うございます、絵手紙、楽しんでください。

うれしいな!
絵手紙教室の皆さんから暑中見舞いを頂くのは、嬉しいものです。絵手紙は上手下手に拘わらず私に描いて下さったのだ!と思って、その方のお顔や様子を思い浮かべながら拝見しています。今日は、上天草の寺中自子さんの(オニヤンマ)をご紹介します。暑さの中、飛んできたオニヤンマが、ふと、何処かに止まってジッとしている静寂が伝わってきます。部屋の中に入ってきたのでしょうか、それを見守っている寺中さんの思いは何だったのでしょう?「暑さから逃れるようにオニヤンマが入って来ましたよ、熱中症にかからないよう気を付けて下さい。9月に会えますよう願っています」とありました。
有難うございます、寺中さんもお大事にお過ごし下さい!

暑中見舞い
井田病院のメンバーに斉藤喜久代さんがいます。バザーなどに手創りの小物などを出品して人気がありますが、今日はむくろじのストラップを頂きました。むくろじは羽つきの羽の根元の黒い玉です。「無患子」又は「無槵子」と書くので、(子供がすくすく育つように、厄除け)の縁起なのでしょうね!花言葉は、「あなたと飛びたい」。ムクロジ科の落葉高木で初夏に淡緑色の小花が集まり咲いて、実は秋に熟し中の固い球形の種子は、追羽根の他お念珠にもなるそうです、調べて良かった!

無患子(むくろじ)
F先生の告別式に持参した「ご霊前」は市販のケースに入れましたが、自分で作ってみたら!と考えました。蓋も付けて、と作り方で試行錯誤し出来上がりました。生地を選びながら不祝儀用、御祝儀用、又特別慶弔用でもなく、ちょっとした物を入れてバッグに入れてもいいかなぁ~、等思いながら一日が過ぎました。

気儘な物入れ
毎月25日は、ご詠歌の練習と浄土宗宗祖・法然上人様の忌日の法要を正行寺で行います。お寺の境内に金銅製の六地蔵さんが祀られていて、いつもご挨拶をします。今年のご詠歌の大会も済みましたので、出席者も少なく雑談を交えて「霊まつり」のご和讃などお唱えして、ご住職を囲んでお茶を頂き、夕刻帰宅しました。

六地蔵さん
7月22日(金)午後急な訃報がありました。白歐高校の仲よしグループのお一人のご主人が亡くなられました。前日までお元気で、娘さんと電話でお話をなさったそうです。家の近くにお住まいですが、友人が亡くなられてからは、特別な事があればお会いする機会もあったのですが、普段は梶ヶ谷の駅の近辺で偶然お会いして、車の窓越しに「お元気ですか?」などご挨拶をさせていただいていました。昨年11月、息子さんの運転する車に同乗させて頂いて、栃木県鹿沼に行ったのが、最後になりました。友人がお元気な頃、ご主人が広島県の大竹の工場長をなさっていて、有田の「陶器市」に誘って下さって、10年位毎年お邪魔して案内して下さってお世話になりました。今はお一人住まいでしたが、アメリカから息子さんが急遽呼び戻されました。
26日のお通夜、27日の告別式、と決まり、私も何か落ち着かない時間を過ごしています。農学博士号を持ち、バイオ関係で沢山の業績を遺した先生です、心からご冥福をお祈り致します。 合掌

行燈に絵を描く-3
九州、近畿地方は梅雨が明けました。関東地方はまだですが、雨も少なく毎日暑い日が続いています。7時には夕食にするようにしていますが、丁度その時間、晴れていれば南東の中空に座った窓からお月さまが見えます。薄墨色の空に輝くお月さまに乾杯、今日もフルに過ごしました。冷たいビールも格別美味しいです。

お月さま
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