新歌舞伎座の完成で最近観劇づいています。なかなか切符が手に入らず、日にちと座席の場所、演目等条件がありますので苦労します。今日は2月の受付初日に一等席4人つづきで取れましたので楽しみにしていました。幕間にお弁当を頂きおしゃべりをして堪能しましたが、終演後、銀座4丁目の「フルーツパーラ千疋屋」で一休みして帰宅しました。2階の窓際から道行く人々の賑わいを眺めながら、今日の至福に感謝しました。

 

歌舞伎座杮葺落し-2-4

 

4月6日(土)の朝日新聞 Be 面に聖路加国際病院の日野原重明先生「101歳・私の証 あるがままに行く」を読みました。ある雑誌からの紹介です。臨済宗妙心寺派長福寺住職・上沼雅龍師の「こころの耕運機」と云う題の文章です。(いつでもエンジンがかかるように準備してください)と前置きし心を田んぼになぞらえ、自分の心を耕す事が自己形成なのだと云います。私達の心田は時に石がゴロゴロ転がって居たり、草がぼうぼうと生えていたり、荒れ放題の状態になってしまいます。荒れてしまった心田は、また一から土を掘り起こして、鍛練するしかありません。自分の心田は、自分で耕すほかないのです。

この記事を読み、なるほど!!と思いました。

3月31日(日)、「等々力の家」で(ボランティア感謝祭)があって出席しました。このような催しは初めてですが、いつもは顔を合わせない人達とお目にかかれて、どのような活動をされているのかも知ることが出来てとても楽しく、幕の内風のお弁当や飲み物も沢山あって意外でした。ウクレレ、日舞、ハーモニカ、和太鼓、コーラス、俳句の指導、手品、私達の大正琴もご披露しました。お出でになれないグループもあったそうですが、40名の人達が職員さんの心遣いで楽しいひと時でした。小学生から高校生、年配の方たちも元気一杯、こうして未熟ではあっても、ボランティア活動をさせていただける事の幸せを感じました。

 

富士見プラザ訪問-4

 

今日の羽田空港は混んでいました。早めに着いていましたので慌てずに済んで良かったです。天草エアーラインの機体が化粧直しをして、胴体が親イルカ、二つのエンジンが赤ちゃんイルカになりました。天草の綺麗な海を象徴するコバルトブルーです。暖かな春の日射しで海も煌めいていますが、中国からの黄砂やPM2.5とやらも心配です。空港からタクシーで家に着いてみるとあちこちと修理をお願いしていた職人さんが来ていてくれました。明日から又天草の春を楽しみたいと思います。宜しくお願い致します。

毎月、月初めは連日忙しくなります。今月も「一寸、しんどいかな~」と思いつつ予定を消化してきましたがいざ、終わってみると、やっぱり頑張ってよかった!と感じます。特別なことではなく、ごく日常的な当り前のことですが何よりも有り難く一番の幸せだと感謝をします。「等々力の家」の庭先に咲いている小さなお花にも職員の思いが込められているようで思わず立ち止まって眺めました。

春浅い陽だまりが輝いていました。

 

花々-1

 

天草の家は、夏に向かって庭の手入れが忙しくなってきます。今年は、松尾造園さんを紹介して頂いて気になっていた庭の手入れをお願い出来て安心しています。そんな折、奥様から、3か所の木戸が部品の都合でまだ出来ていない旨お電話を頂きました。木製の木戸が古くなって壊れているので取り替えて頂くように頼んでいました。特に急ぐことでもなく綺麗になった庭を楽しみに9日に出掛けます。2か月置きに2週間ばかりの滞在ですが、天草の皆さんのお蔭で助けられ楽しく過ごせるのをとても有難いと何時も思っています。天草も春まっさかり!ちょっとpm2.5が心配です。

 

天草の家-2

  

2月3日、66歳で亡くなられた市川団十郎さんの本葬が冷たい涙雨の降る中、青山葬儀場で執り行われました。沢山の会葬者が見守る中、在りし日の端正なお顔立ちの遺影が掲げられ哀しも一入です。本当に惜しく勿体無くまだまだお元気で沢山の舞台を魅せていただきたかったです。「色は空 空は色との 時なき世へ」 との辞世の句を遺されたことを知りました。白血病から立ち直られたのも束の間、すでに覚悟はなさっていられたのかと思うと胸が痛みます。心からご冥福をお祈りし、海老蔵さんの精進を見守りたいと思います。合掌。

今夜遅くから関東地方に大雪警報が出ました。1月の大雪にも負けないとのこと、交通機関の混乱が案じられる。明日は市民プラザの絵手紙があるけど、様子を見ることにして連絡を取り合おうと思います。風邪で欠席の電話を頂いた方もいて、風邪と転倒は一番気をつけねばならないことなので慎重を期したいと思います。

月末は、カレンダーをめくって出来事を思い返したりします。お正月を黒川温泉でゆっくり過ごしたこと、親友の不幸に言葉も出ずびっくりしたこと、アルジェリアでの事件で尊い命が失われたこと、主人の十七回忌を迎えたこと、第二次阿部内閣が思ったより順調な滑り出しをしたこと、等々、いろいろありますが無事に過ごせることが何よりの幸せ、感謝の日々です。体力も衰えてきますが急がず、無理をせず、楽しく笑顔で過ごします。

今回の天草滞在もあと一日となりました。皆さんと新年会、絵手紙教室、会食、ミンティアケース作り、ドライブ等毎日があっという間に過ぎていきました。明日は苓北に行って「緋扇貝」のコースをご馳走になって天草とお別れします。次回は3月10日頃、又きます。沖縄の本部では、緋寒桜祭りが始まりました。天草も暖かくなっていることでしょう!楽しみにしています。こうして、無事に楽しく過ごせた事、本当に有難いことです。天草に来てから数日経った日、中学時代からの親友から電話があり、46歳の娘さんが急逝されたとのこと、何回も聞きなおして返す言葉もなく絶句しました。白血病で無菌室に入って療養中のご主人と、アメリカで高校生の男の子、小学校の女の子を残しての旅立ちでした。親友の心情を慮り何の力にもなれない自分が情けなく「ごめんなさいね!」を繰り返しました。只、只ご冥福を祈るばかりです、合掌。

 

食事会-6

 

天草に来て荷物の整理など一応片付いたところで、太田町の美容院「ハローマダム翔」に出かけました。絵手紙に時折お顔を見せて下さる石井洋子さんがオーナーを務めるお店です。センスの良い店内とスタッフの丁寧な仕事ぶりに、フェイシャルやネイルを体験させて頂きました。お正月気分もそろそろ終わりにしなければなりませんが、寛ぎと癒しのひと時でした。又、お邪魔させて頂きます。有難うございました。

 

9月の絵手紙-4-16

 

2日は何処にも出掛けず年賀状の整理やTVを視たりしました。1日に街を走った時、ガソリンスタンド、コンビニ、ファミレス、ドラッグストア、そして家の近くではコジマ、東急ストアが営業していました。道もガラガラですし、家族ずれで矢羽根を持った初詣帰りの人達がお正月気分を盛りたててくれました。午前中は、大学対抗箱根駅伝に釘づけ、若いっていいですね。

12月20日、はとバスで友人達とスカイツリーの夜の部を観に行った時、家に帰ってきたらカメラがどうしても見つからず、はとバスの管理事務所やスカイツリーにも落し物の問い合わせをしましたが、届は無くて諦めて新しいのを購入しました。前よりも高性能のが値段も安く驚きましたが、今日、天草行きの荷物を作らねばと準備を始めたところ、大きなバッグの底のほうに入っていました。あんなに探したのにどうしたことでしょう!探し物は後になって思わぬ処から出てくることがありますが、今回も惚けた!と云いましょうか、でも良かったです。ところが、昨日から又探し物をしています。新しいカメラのバッテリ充電器がありません、しっかり充電して使い始めましたので何処かにある筈です、一難去って又一難。今年は充分注意して過ごします。

年が明けて間もなく、川崎の絵手紙のお仲間が突然亡くなられました。お年賀にはご自分で描かれたデージーのお花いっぱいの元気なご挨拶でした。一人娘のお嬢さんも嫁がれたばかり、あと2~3年したらご主人と二人故郷の長島に帰ろうかと思う、など、暮れにお話ししたばかりでした。あまりのことに、お知らせを戴いても只呆然として言葉もでませんでした。胸の痛みを訴えられ入院して手術を受けることになっていたのです。手術が間に合わず、動脈瘤破裂。まだ62歳の若さです。

心からご冥福をお祈りするばかりです、合掌。

 

カサブランカー1

 

 

今日、12月20日、私は満76歳の誕生日を迎えました。五人姉妹の末に生まれ父が結核に倒れて療養中、母は父の看護と子育て、商売と無我夢中で働きました。母に「私は何時頃生まれたの?」と聞いたら「忘れた!」と言われました。

誕生日というと正行寺の白石洋子先生から伺った話があります。昔、薬師寺の高田好胤師とお食事を共にしているとき、たまたま白石先生のお誕生日であることをお話すると「それはおめでとうございます!ところで貴女のお母様はご健在ですか?」と聞かれ元気でいる、とお答えしたところすぐに電話を取り寄せて「お母様にお礼の電話をお掛けなさい!」と言われたそうです。誕生日は自分が生まれた、ということより産んでくれた母親にまず感謝をしなければならない日である、と諭されたそうです。

私も、イタリア料理で祝っていただいたり、お花が届けられたり嬉しい一日でしたが心の中で「お母さん、ありがとう!」と呟きました。

お花は玉川高島屋のエミリオロバのクチュールフラワーでした。

 

誕生日-1

 

誕生日-2

 

 

 

 

18日、遅い時間に羽田を発ちましたので天草到着は午後8時近くになりました。一夜明ければ普賢岳がくっきりと青空に聳え庭いっぱいに秋の日差しが遊んでいます。今回は干支の年賀状の準備など、盛りだくさんの予定を皆さんと共に楽しみたいと思います。今回もよろしくお願い致します。

18年前、平成4年10月4日、夜明け前の午前5時、すぐ上の文子姉が東京医科大学病院で胃がんのため帰らぬ人になりました。59歳でした。数えてみればもう18年、でも何年たってもこうして姉のことを思い出すたびに涙が溢れてきます。亡くなった人は私の場合、姉も母も主人も今までよりもより近く常に身近に感じられます。嫁いだ先の父や母も懐かしく有難く思います。今日は絵手紙の教室もあり東京・浅草にあるお墓参りには行けませんでしたが、同居の中嶋キミさんが「お仏壇にママの好きだったカサブランカを捧げたい!」と云うので夕刻になりましたがお花屋さんに急ぎました。キミさんの気持ちも嬉しく、暫くお仏壇の前に座ってひとり姉とお話をしました。静かに暮れた夜、お仏間の上に冴え渡ったお月さまが昇りました。合掌。

 

カサブランカー1

 

 

 

昨15日から秋の気配を感じます。2ヶ月ぶりの天草へこれから出かけます。雨がかなり降っていますが姪にたまプラーザの羽田行きリムジンバスのターミナル迄送ってもらうと傘もいらず助かります。今回は皆で平戸へのバス旅行もありますので楽しみです。元気で出かけられること、有難いと思います。30日まで無事に天草で過ごせますように!!行ってきます。

11日から23日迄、長いと思っていた天草滞在もアッという間でした。前半豪雨に見舞われたりしましたが、梅雨明け宣言もあって暑い暑い夏が戻ってきました。

新しいメンバーも加わって絵手紙を描いたり、会食とおしゃべりに時間の経つのを忘れて笑い転げたり折り紙に挑戦したり楽しく過ごさせていただきました。帰りは天草エアーラインで阿蘇くまもと空港経由羽田まで、ひと飛びです。又9月、皆さんにお会いできるのを楽しみにしています、お元気で夏を乗り切って下さい。

 

ハット・マグネット

 

沖縄の糸数美恵子さんに、沖縄の情報をお知らせください!とお願いしてから、今日まで折に触れ写真付きのメールを戴いて私の拙いホームページを賑やかにしてくれます。忙しい中、ご主人の勤さんの協力もあって第32伸を掲載させていただきました。これからも、よろしくお願いいたします。

午前中の本渡北公民館の絵手紙教室が終わって、苓北町の「ふれあいスペース・如水館」に移動するのに約30分、途中に馳走「ほりもと」に立ち寄り昼食をすませます。マスターの心配りのこもった松花堂弁当を満喫し奥さんの笑顔に見送られて午後の教室も元気いっぱいです。

馳走「ほりもと」-1

 

4月も半ばを過ぎたというのに朝から冷たい雨が降っています。

朝、電話があって「沖縄の具志堅です!」の声にびっくりしました。具志堅幸子さんは沖縄の辺野古に住んでいられて、沖縄の絵手紙が安田の公民館から現在の辺土名に移ってからお会いしていなくて、テレビで辺野古の米軍移転のニュースを見るたびに思い出していた人です。

昨日の沖縄の自習の会にお友達を誘って出席してくださったとのこと、私も気にかかっていたものの、具志堅さんも忘れずに時間を作ってくださって、二年ぶりでお話をしました。それぞれ、事情があって例え会えなくても、絵手紙一枚で旧交を温めることが出来、何よりもの嬉しさです。電話を切ってからも寒々とした外の雨を見つめながら、心は芯からホカホカと倖せいっぱいの一日を過ごさせていただきました。

今日夕方5時半ころ、日曜日で横になってTVを視ていたらガラス越しに雪が降っている気配にびっくりして外を眺めました。まだ暮れていないで明るかったのですが、家の前、東側にある公園の桜吹雪でした。今までも毎年眺めている風景ですが今日は強い東風が吹いてそれはそれは見事な状景で、思わず家の外に出て両手をいっぱい広げて手のひらに花びらを受け止めました。5分位も続いたでしょうかー、道路も庭もピンクの絨緞を敷き詰めたみたいになりました。
桜は主人を偲ぶ花ですが、花吹雪の中に立ちつくし、きっと主人はお浄土で楽しく暮らしているに違いない、と確信しました。
 

今年の桜も終わりました。

雨や風で気を揉みましたが見事な花を咲かせてくれて、大好きな花吹雪を浴びて、今日は最後にピンクの絨緞を敷きつめて名残の風情を見せてくれました。今日いただいた絵手紙に「春風の 花を散らすと見る夢は 覚めても胸の さわぐなりけり」 とありました。西行法師の歌です。

春が来れば桜が咲き、葉桜になるころには爽やかな季節の訪れとなり日常的な移り変わりも当然のことと受け止めて過ごしますが、この何気ない当たり前のことこそ一番大切な日々の生業であろうと痛感します、そう思うと毎日が平凡に何事もなく過ぎゆく事の有難さを噛みしめねばならないと思います。今日も無事に暮れました、お蔭さまです、ありがとうございます。

第3公園の桜-2 

3月新たに刊行した「磯より潮のみつるとき」が流通ルートに乗って全国310の本屋さんに並べられました。上野の山の中学校へ1950年から3年間、一緒に通った幼なじみから電話をいただいて、当時を思い出しながら長電話になりました。とても満足できる内容ではないけれども、一応形になってホッとしています。サブタイトルにもなったように、お蔭をいただいた沢山の人達に感謝の思いでいっぱいです。

 

2ヶ月ぶりの天草です。雪も降って春の女神様はまだ寄り道をしているようですが、3月の天草は梅の花も終わり、菜の花が迎えてくれます。やはり天草は楽しいです。

 

聖路加国際病院の理事長、日野原先生がNHKの「スタジオパーク」に出られました。朝はミルク、ジュース、ミルクコーヒーのどれかにオリーブ油をティースプーン4杯を混ぜた飲み物、昼はミルクにクッキー3~4枚。夜はご飯半杯とおかずと沢山のサラダで一日1300Kカロリー、運動をし「人生、常に挑戦」新しい事をする、若者に接する、良い友を持ち、無理せず、好きな事をして道理に違わず楽しく暮らす、そしていつも感謝の気持ちを持ち続ける、等短い時間でしたがいいお話でした。

朝早くから南向きの窓から眩しい日がさしてウラウラと穏やかな日曜日です。リフォームの職人さんたちも、今日はお休みです。庭の木の枝に番いの目白が飛んできて、枝にさしたミカンを啄ばんでいます。加賀梅の蕾もだいぶふっくらとしてきました。満開の水仙がそよ風に揺れています。先日沖縄で求めてきたシーサーが居所を得てにらみをきかせています。この風景をただ眺めるだけではなく、穏やかな時を感謝し至福の今日一日を過ごします。


病気を患って、治っても障害を持つようになり不自由な生活を強いられるケースはまれではありません。

数年前に、井田病院の緩和ケア病棟に入院されていた若い男性の患者さんが、声を失い喉にあけた穴でオカリナを吹かれるのを聞きました。「ふるさと」と「涙、そうそう」でした。

その時、私は人間てなんと哀しくそしてなんて素晴らしいのだろう!と感激し、生きること、生かされることを深く考えさせられました。老い、そして病み逝くのは、明日の自分の姿でもあります。私も、病む人が絵手紙を通じて前向きに笑顔で毎日を過ごせるように少しでもお手伝いが出来るように、と改めて感じた日でした。


今日、1月31日は主人加藤正昭の祥月命日でした。13年前の今日この時、主人は私の腕の中で旅立ちました。私はしっかりと彼を抱きしめて子守唄を歌いました。2か月ばかりの闘病で駆け足で、私を置いてきぼりにして逝きました。岡山市に住む昔の知り合いのご夫婦から、今年も忘れずお花が届けられて、お供えし昨日の出来事のように在りし日を偲びました。

雲一つない青空が広がって富士山が真っ白に輝いています。一富士二鷹三なすび、昔から言われているお正月の縁起物の一つが先ず眼の中に飛び込んできました。朝日も眩しく思わず手を合わせて、新しい一年の無事を祈りました。不足や不満を言わず、心を豊かに笑顔で悔いのない日々を願っています。


 

年末に向けいろいろと整理をしている段階であちらこちら家の造りの老朽化がでてきました。まず、門燈のタイマーが狂って明るいうちに点灯してしまったり、時間がきても消灯しなかったり、アナログテレビが全く映らなくなったり、24時間風呂が止まってしまったり、です。畳の表変えをしてもらおうと思ったら、いっそのこと床張りにしたほうがいいということで、リフォーム中ですので落ち着きません。普段から細かい手入れをしておかないといけないですね!反省しています。

今年最後の10日間の天草滞在が無事に終わりました。絵手紙教室、天草三曲会の発表会、日南市を訪問等お蔭さまで予定を消化できて有難いことでした。思えば、天草においてもいろいろな事があった一年でした。楽しいこと、嬉しかったことも沢山ありましたが、嫌なこともありました。どちらにしてもすべては自分が播いた種であり、自分の手で育てるなり刈り取るなり私自身が試され、更なる新しい年への踏み台として前をしっかりと見据えていかねばなりません。この一年、沢山の皆様に支えられ、励まされ、慰められて過ごすことができ、改めて感謝の思いでいっぱいです。又年が改まりましたら、気分も一新お邪魔させていただきます。有難うございました、皆様もお元気で佳い年をお迎えください。

 

お十夜法要で供養をしていただいたお塔婆をもって、東京・上野公園の谷中霊園にお墓参りに行ってきました。谷中霊園は徳川慶喜はじめ有名人のお墓が沢山あって、ウォーキングコースになっています。

上野公園は私が中学3年を通った所なので懐かしい場所ですが、昔は桜の時期以外は静かな環境でしたが、今は東京文化会館、国立西洋美術館が新設され昔からの国立博物館、恩賜上野動物園、東京美術館、東京芸術大学、上野東照宮と平日でも賑やかです。私も人の波の中に佇んで茫然と昔を偲びましたが、60年経過した今でも、面影はなくても当時のあれこれが鮮明な現実となって甦り、しばし我を忘れて懐かしい思い出に浸り、つくづくと随分長い年月を生かされてきたことを改めて実感した一日でした。

正行寺のお十夜法要に参加しました。

お寺の境内のほぼ真ん中に大きな立派な八重桜の木があって、毎年ソメイ吉野が終わる頃大きくて色の濃い豪華な八重の桜が咲いて私たちを楽しませてくれました。先月10月7日、関東地方を通過した台風18号でこの桜の木が途中から折れてしまいました。残った幹も傷みが激しく危険なので地面スレスレ切り取られました。来春はこの桜の花を見ることが出来ず寂しい気持ちです。諸行無常、形ある物すべて同じ姿で存在することは出来ません。この世の道理ではありますが私たちも様々な思いを重ねて今日を大事に生きていかなければいけませんね!。桜の切り株を眺めながらつくづくと思った一日でした。

 

 

だいぶ以前から気になっていたのですが、家の中の整理を始めました。十年以上も前に亡くなった主人や姉の遺品もそっくり仕舞ってあったので量的にも相当なもので、自分でもどうやって始末をしたらいいのか悩んでいました。姪達が連日来てくれて、特別大事な物、捨てる物、利用出来る物、ある程度姪達の判断にまかせて作業を進めましたが、とても時間がかかりそうで少しずつ気長に片付ける必要がありそうです。それにしても、元気なうちに少しでも整理が出来てよかった!と思います。これからは物を増やさずシンプルな生活を心掛けなければいけないと痛感し、反省しています。

9月14日から20日迄、天草での予定を無事に消化しました。スターダストの解散、「本渡北公民館」と「ふれあいスペース如水館」での絵手紙教室、お陰さまで楽しい日々を過ごしました。今回はお彼岸を控えてあわただしい日程でしたが、11月は少し余裕をもって又お邪魔いたします。来年の干支の寅のモデルも一緒に連れてきましょう!11月23日(月曜日)に第二回目の「天草三曲会」が国際交流会館ポルトで開催されますので頑張らねばなりません。快晴に恵まれ萩の花が咲き乱れる秋の天草を満喫させていただきました。有難うございました。

台風11号がややそれて爽やかな秋の空が広がりました。

総選挙が政権交代を実現して、新政権に期待したいです。5月28日に手術を受けて入院していた荻原照子さんが退院してホッとしていますが、週2回のリハビリに通いながらの自宅療養です。ギブスをつけ、杖を2本つかないと歩けないのでまだ時間がかかりそうです。格好悪いけど手押しの4輪車で近くのスーパーに買い物に行く、と言っていますが格好の問題ではないですよね!息子さんと二人暮らしで日中は一人ですので皆に「来ないで、来ないで」と言っています。分かりますよね。お大事にしてください。

井田病院のお仲間と暑気払いをかねて会食をしました。メンバーの一人後藤和子さんがビーズを使ってストラップの作り方を教えてくれましたので、お食事の後は6人で作業に熱中しました。皆でおしゃべりをしながらの手作業は楽しいです。

5月28日に脊椎狭窄症の手術を受けた荻原照子さんのお見舞いに4人で出かけました。ちょうどリハビリの最中でしたので見学させていただきました。右足にまだ痺れが残っているそうですが歩行訓練などのリハビリを受け頑張っていました。お食事も車椅子で食堂まで自分で行って頂けるようになり退院もそんなに遠いことではなさそうで安心しました。疲れが出ないように、気を遣いましたが笑顔でエレベーターまで送ってくださって別れました。帰りには雷と夕立に逢いましたが、親友の元気な様子に気持も軽く帰宅しました。荻原さん!いい日を有難う!又会いましょうネ(^。^)

天草慈恵病院の40周年 記念講演会が1時から「はまゆう ホール」でありました。熊本県人の元オリンピックランナー、松野明美さんが「人生は一番でなくていい ~生まれてくれてありがとう~」と題して1時間に及ぶ熱演でした。5歳になる次男が心臓とダウン症という重い障害を持って生れ、絶望の果てに、その子から生きる素晴らしさを教えられる体験談です。明るく冗談を交えながらのお話でしたが、持前の粘り強さで私達も大いに生きる素晴らしさを教えられました。白いフレァースカートに大きなコサージュをつけてとても輝いていました。感動を有難うございました。

天草の本戸馬場のお仲間からお誘いをいただきました。このグループは62歳から85歳まで7人の人達で如水館の最初の生徒さんですから、もう10年もの長い間絵手紙を楽しんでいます。毎月山下ヨシエさんのお宅に集まって絵手紙を描き持ち寄ったもので昼食をいただいている、とのお話は聞いておりましたが、初めてご一緒させていただきました。皆さん腰が痛いとか足もとが危ないとか耳が遠くなったとか言いながらも元気一杯、私もかくありたい!といつも願っているかたがたです。今日は特別豪華な松花堂弁当をとって下さって華やかな集まりになりました。皆さん、楽しいひと時を有難うございました、ご馳走様でした。

庭の垣根に植えている樫の木がだいぶのびてきましたので初めて剪定をおねがいしました。朝早くから4人で来られて要領よく始められて午後3時頃にはすっかり綺麗になり、肥料もタップリ撒いて下さって終わりました。時折雨模様になりましたが、たいした降りもなく強い日照りもなくお蔭さまでした、有難うございました。

今月の絵手紙教室も終わって、今日は小さな手作り作業をしました。家にあるザルやかごに好みの端切れを内部に張って、小物入れにリフォームしました。自分で手をかけると出来具合はともかく愛着もわいて又お役に立ちそうです。お茶をいただいてお互いに品評会も賑やかにおしゃべりも楽しく日曜日のひと時をすごしました。お疲れ様でした。

6月もいろいろと無事に過ぎてホットしています。

なんとなく、物事に積極的になれないのも歳のせいかしら?と思っているのだけど、そう思うと気持が後退してしまってよくありません。歳に関係なく無理なく毎日を前向きに楽しく暮らすことが、とても大切!とつくづく思う日々です。

中学校以来の親友、荻原照子さんが腰の骨の手術を受けました。去年の暮れ以来いろいろと治療は受けていたのですがどれも、はかばかしくなく、最終的に手術となりました。検査入院をし自己血を採取しやっとその日を迎えました。10時間にも及ぶかも、と聞いておりましたので、お昼に出かけ武蔵村山市の国立村山医療センターに1時に着きました。予定どうり5時近くに部屋に戻ったときは、麻酔も覚めているようでしたが、無事に終わったのを見届けて帰りました。あとは時間の経過が何よりの薬となるでしょう。リハビリを頑張って又元気な姿を見せてください。

 

毎年、東京港区芝にある増上寺の御忌会に参加して御詠歌や御和讃を奉納いたします、とても盛大で全国からバスを連ねてお参りにまいります。荘厳な大本殿は厳粛な雰囲気で、私は右足の手術のためお舞は出来ませんでしたがお唱えに参加させていただきました。お天気も最高、桜も一番の見ごろです。徳川家代々の霊廟も公開されて静寛院和宮のお墓にお参りしました。

3月第一月曜日、井田病院の絵手紙の日です。会場に入ってびっくりしました。腰痛のためもう半年もお休みをしていられた方がまず眼の中に飛び込んで来たのです。大分よくなられて、車で送られて皆に会いに来て下さったのです!嬉しかったですね!お茶菓子を持って来てくださって皆でお茶で乾杯をしました。まだまだ寒くて無理は出来ませんが、まずは一安心、無理をなさらないようにお大事にしてくださいネ。私は今日のような感激があるから絵手紙を辞められないのかも。彼女の絵手紙を見直しています。

 

 

 

沖縄滞在5日間、好天に恵まれて毎日が夏みたいでした。ヤンバルの森、サンゴ礁の海、沖縄独特のラッキョや海ブドウ、モズクも好きです。今回は、名護と国頭(くにがみ)の個人のお宅に泊めていただいて、沖縄のオリオンビールを飲みながらゆっくりとお話ができて、私にとっては初めての事でしたのでとても嬉しく、又一歩沖縄の人々の心に触れることが出来たような気持になりました。黒砂糖つくり、三線の生ライブ、寒緋桜、畑から島ラッキョの収穫、どれもこれも楽しい思い出となり、ご好意をお寄せくださった沢山の方々に感謝の思いでいっぱいです。私が感じたこの思いを私もおおくの人達に感じていただけるようにしたいなぁ~と改めて思いました。沖縄の皆様!有難うございました。

あの日も寒かったのでしょうか、今考えても分かりません!ただ、井田病院の皆さんに見送られて病院を後にする時、パラパラと雨が落ちてきました。その時哀しみがこみ上げてきて、とめどなく涙がこぼれ落ちました。

 あれから12年、私自身こんなに長生きできるとは思っていなかったのです。そして今「私は生かされている、なすべき事がまだ残っている」そのように思います。毎日を精一杯生きていると、主人が迎えに来てくれて懐かしい人達に逢えるのも楽しみです。その時を待ちつつ明日から又悔い無き日々を過ごします。

 

           なつかしき ざわめきのなか 浅草に

                       帰らぬ人の 姿さがして

                                        綾子

朝方まで、TVで就任式の様子をみました。

朝刊も新大統領の記事でいっぱいです。ニューヨークで同時多発テロが発生した2001年9月、ニューヨーク、ボストン、ワシントンを回って9月7日に帰宅した時のことを思い出しています。連邦議会議事堂、リンカーン記念堂、モニュメント、ホワイトハウス、あの街であの場所で、米国は歴史的瞬間を迎えたのですね!むずかしい事はともかく、朝日新聞の記事から「オバマ氏のまめ知識」が面白いです。

 

 家族 弁護士のミシェル夫人との間に長女マリアさんと次女サーシャさん

 食べ物 チーズバーガーとナッツが好物、マヨネーズが苦手

 得意なスポーツ バスケットボール

 隠れた才能 トランプのポーカー

 悪い癖 携帯メールにはまっている

川崎市教育文化センターへ行ってきました。三遊亭楽太郎さんの「猫の皿」と桂歌丸さんの「井戸の茶碗」でした。前座に桂花丸という若手の一席がありました。

 落語は何といっても古典です!歌丸さん、とても上手でした。ただ会場が広いとよくありません。やはり程々の寄席がいいですね。会場は満員の盛況で、お囃子も賑やかに緋毛氈に金屏風、噺家さんの黒の紋付羽織にお正月の気分を味わいました。

新年を迎えて病院の中も笑顔でご挨拶の声が聴かれました。今日はお薄のご接待と私たちの大正琴で午後のひと時を過ごしていただく企画です。私達「井田山小町」^^は水戸黄門、銭形平次、暴れん坊将軍の時代物の主題歌やゴッドファーザーのテーマソング(愛のテーマ)、黒田節、荒城の月を合奏で演奏しました。食養科で作られたお菓子も可愛くて美味しく、お薄と共に大変結構でした。いつも頑張っていられる宮森先生にもお目にかかれて、心ほのぼの素敵な1日を過ごしました。

私は今とても幸せな気持ちでいる。

 沖縄との交流会を終わって、静かな時間を取り戻したとき、かすかな疲れのなかにもほのぼのとした充実感を楽しんでいる。

今まで会ったこともない人同士が、絵手紙の交換をしていたのが「初めまして!いつも絵手紙ありがとう!」この一言でもう十年来のお友達のように打ち解けてお話が進む。年令がかなり離れている人達もいたが、そんなことは関係なく、まさに絵手紙を懸け橋として天草と沖縄が手をつなぎ合ったような感じ、ちょっとオーバーかな?^^

 短い夜は過ぎて、翌朝本渡港からマリンビューで去りゆく船を皆で見送り別れを惜しんだ。今日の日を、私は忘れない、沢山の人達のお蔭と誠意とぬくもりを!!!

平成4年、16年前の今日、姉が60歳で旅立ちました。今日は17回忌にあたります。東京浅草の<池の妙音寺>で追善供養の法要を営み言問通りの昔から馴染みのお寿司屋(高勢)でお清めの会食をし、皆でテープで姉の歌う「LAST DANSE」を聴きました。越路吹雪が好きだったんです。この長くて短い時の流れのままに、遺された知的障害をもつ甥も45歳になり天草市内の施設のお世話になっているのも有難いことです。60年の生涯を、駆け足で十二分に堪能したであろう姉に思いを馳せ更なる冥福を心をこめて祈りました。

 

 日が短くなり帰路の空には下弦の三日月が白く浮かんでいて、せつなさ、はかなさはひとしおでありましたが、この姉は私が絵手紙を始めたことを全く知らないで、今頃苦笑していると思います。

 もしも、お浄土の蓮で憩う姉に私の絵手紙が届くのであれば、私は毎日でも描き続けます。

 

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